冬季休業前の講話

                          頭の良さについて

              ~ なぜ日本人はノーベル経済学賞と縁がないのか ~

  今日は、頭の良さについて考えてみましょうか。中学時代、毎回の定期テストはほぼ満点 おまけにテニス部キャプテンといった生徒がいたと思います。この生徒は「頭が良い」ということになっていたと思います。近辺で一番偏差値の高い高校に行ったりします。昔教えた生徒の中に似た生徒がいました。いつも良い点を取るので、勉強法を尋ねると「読んだ文章が頭にすっと入る」というのです。もっとすごく、教科書が写真のように記憶できるという、いわば頭にスマホのカメラが入っている、ずるいような生徒もいるようです。よく「社会は暗記科目だから覚えるだけで良いけど、数学は考える科目だから云々」ということを聞きますが本当でしょうか?記憶力が良い生徒は、大抵数学もできます。高校までの数学は、大抵解答パターンの記憶で対処できると思います。パターン外の、本当に解き方から考えなければならない問題は、大学までの入試では、できなくてもほぼ合格できます。教科書をしっかり理解でき、いくつかの応用問題を注意深くこなせば大抵大丈夫です。

  さて、高校では中学とは桁違いに多くの内容を理解しなければならないので、ここで脱落する生徒もいます。しかしこれを乗り越えた生徒は、「良い大学」に行きます。大学でも同じように講義内容をしっかり覚え、良い成績で国家公務員になったりします。公務員の世界は、基本的にしきたりの世界、つまり前例、過去の蓄積がものをいう世界です。前例が学生時代の教科書にあたります。これをベースにして、着実に仕事を進めていきます。ところがたまに困ったことが起きます。「○○ショック」と名付けられている事態です。「1ドルが360円と決まっていたのに308円になってしまった」とか、「今まで一定だった原油の価格が短期間に4倍になった」とか、前例がないことが起きると彼らは国民を巻き込んでパニックになるのです。今回トランプ氏が大統領選挙で勝ったというのも、彼らをあわてさせました。彼は、今までとだいぶ違うことを言っています。これに対して日本の対応は速かったですね。総理大臣が、世界一速く会いに行きました。自分はこれだというものがあればあわてなくてよいのですが、ともかく新しい教科書が欲しくてアメリカまで買いに行ったといったところでしょうか。お役人はこれで安心できる訳です。安心して仕事ができます。ノーベル賞受賞とはだいぶ違った頭の良さ?の発揮の仕方です。

  では、ノーベル賞を受賞するような頭の良さは、どのようなものでしょうか。基本的に前例がないことにチャレンジする姿勢が必要です。例えば自然科学の分野では、このようなことをします。ある実験データを示します。・・・(中略)・・・。このように実験からデータを取って、それを理論化するのが自然科学の研究です。アインシュタインだって、「光が曲がる」ことを実験で確かめたのです。これが人類初だとか、人の役に立ったということで、ノーベル賞の対象になっていくわけです。問題意識、着目点、根気強さが大切なのです。結構地味ですが、問題意識にカギがありそうです。

  ところで、物理学賞、化学賞、生理学・医学賞、文学賞、平和賞、経済学と6種類あるノーベル賞の中で、あえて一番価値があるのはどの賞だと思いますか。私は文学賞か経済学賞ではないかと思っています。文学賞は無から有を生み出すようなものですし、経済学賞は、思い通りの実験ができない、無数にある過去のデータから価値があるものを拾い上げて論理化するという作業が必要です。自然科学部門のように、自由に思うままに実験してデータを集めるということができないのです。なぜ実験できないかというと、国民生活があるからです。不況の時に高金利にしたら国民生活は究極的にこうなる、といった実験は決してできません。逆の現象は、「バブル経済」と言われる時期に垣間見た気もしますが、ひどい有様でした。回復に20年かかったのです。一般に実験なしで事実のみから理論を立てるには、大きな才能が要ると思います。頭の良さの極みといったところでしょうか。経済学賞は、唯一日本人が取っていない賞です。私は経済学が文系科目に分類されているのが原因かと考えています。新しい理論を作る作業は自然科学と同じ方法ですが、先に述べたように、より困難な作業が求められます。