「東北・災害ボランティア活動ツアー」3日めの様子をお届けいたします。
最終日ということで少し早起きして、朝の露天風呂で日の出を迎えました。
(写真はもちろん、そのあと部屋で撮影したものです!)
さて、3日めはまず宮城県多賀城高等学校との交流からスタート!
多賀城高校には普通科に加えて「災害科学科」があり、その課程で学んでいる在籍生徒による「津波伝承まち歩き」に参加しました。
イオン多賀城店で集合後、2つのグループに分かれてフィールドワーク開始。
ちなみにイオン多賀城店にも津波が押し寄せ、1階は浸水したそうです。
最初は互いに緊張していた様子でしたが、まち歩きの途中、生徒同士で少しずつ会話が増え、震災関連の話だけではなく、互いの高校生活についても話題にあがりました。
この地域では海は見えないのですが、それでも津波が押し寄せ、車も流され、被害が出ました。その怖さを感じました。
フィールドワーク終了後、全員集まって振り返り。
最後は参加生徒の集合写真撮影!
この後、中々解散にならず、生徒達は別れを惜しみながら出発時間ぎりぎりまで交流しました。
移動後、「震災遺構仙台市立荒浜小学校」を訪問。
語り部さんに案内ガイドしていただきました。
この小学校は、地域の避難場所でもあり、震災当時、地域の方々も含めて約320人が避難してきました。学校以外の建物が壊滅的な被害を受ける中、学校には2階まで津波が到達しました。
海に対して校舎の向きが斜めで津波が正面から襲う形にはならず、避難してきた全員が無事に助かりました。
地震発生は14時46分でしたが、津波が到達したのは15時55分。
体育館の時計はその時間で止まっています。
最後に映像を視聴しましたが、その中で当時の教員が「過去の災害の例から見ても、この地域に津波は来ないと思っていました」「遠くの方で煙があがっているように見えました。それが近づき、やがて津波だと気が付きました」という言葉が印象に残りました。
さて、お昼時、少し休憩して、昼食は宮城といえば!牛タンです!
お腹を満たして、今回のツアー最後の訪問先は「閖上の記憶」。
「語り部講話」をしていただきました。語り部さんは当時中学1年の息子さんを津波によって亡くされました。講話の中にあった「このあたりは津波は来ないと思っていました」「津波が来るまで1時間6分ありました。その間に『早く逃げて』と言えていたら・・・」という言葉が印象に残りました。
講話後、少し移動して閖上中学校に設置された慰霊碑を前に、亡くなった子どもたちを想いました。
全ての行程を終えて、仙台空港から大阪に戻ってきました。
さて、今回の「東北・災害ボランティア活動ツアー」の様子を紹介した3回のブログ記事では、取り組んだ内容の紹介をしてきましたが、生徒たちが何を感じ、何を学んだかは一切、触れていません。
今後の事後学習でしっかりと互いに意見を交わしながら、今後の活動について考えていきます。
2025年、新たに語り部になった参加メンバーが何を語り、何をしていくか、ぜひ期待してください。
最後になりましたが、今回お世話になりました、宮城県の皆さま、本当にありがとうございました。