2年生の課題作文、非常によく書けています!

 国語科のF先生から、2年生が授業で学習した夏目漱石の『こころ』について書いた文章をいただきました。400字2段落構成で、「私」についてまとめながら考えや感想を記したものですが、いずれもよく書けている、というか「よく読めている」と感心させられました。以下に優秀作品として選ばれたものをご紹介させていただきます。

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 2年6組

  「私」は利己心の塊であると思う。良心との葛藤もあったが、友の死に直面してもなお自分の身を心配していた。Kが悩んでいる時も自分の事しか頭になかった。Kより常に優位に立とうとし、そのために卑怯な行いを続けた。人は皆、自分のことが大切だけれど、「私」はあまりにも利己心が強すぎたのだろう。

 現代の私達とは考え方も世の中の常識も違うけれど、利己心があること、自分が大切ということは今でも変わらないことなのだろう。しかしもし私が同じ境遇におかれても「私」と同じことは絶対にしない。狂うほどの恋をしたとしても、自分を見失い、友を追いつめたくはない。「私」も辛い状況におかれていて追いつめられていたのだろう。でもそこで自分の利己心に打ち勝ってKと真正面からぶつかっていたらよかったのにと思う。それが「私」が唯一あの状況を悔いなく乗り越えることができる方法だったのではないだろうかと私は思う。

2年5組

 この作品の主人公である「私」は、一途にお嬢さんのことを思い続ける真面目な人です。しかし、一途がゆえにKのお嬢さんに対する気持ちを知ってから、嫉妬や不安に包まれていきます。Kの気持ちを諦めさせようと、少しずつ卑怯になっていく「私」ですが、最終的には幸せを手に入れたはずなのに罪悪感で押しつぶされそうになってしまいます。

 私は、主人公はとても人間らしいと思いました。愛や友情を大切にする気持ちの裏には、どうしても嫉妬や憎悪などの黒い感情が誰しも隠れていると思います。「私」の場合は、Kにお嬢さんを取られたくないという強い思いから、卑怯な手を使ってKを裏切ってしまったのだと思います。これは自然な感情の流れだと思います。自分の欲求を満たすことを阻もうとする者は憎らしいと感じてしまうのが人間というものではないでしょうか。この作品は、人間の本質を描いていて、とても面白かったです。

 2年5組

 『こころ』の「私」は、自尊心が非常に高く、利己心と良心の間をさまよっている人物である。Kより自分が劣っているということを認めながらもそのことに関して恐れを抱いている。そして、Kへの申し訳ない気持ちを持ちつつも、自分の利益を最優先として行動している。

 私はこの小説の「私」が、世の中で生きている大衆の心を体現していると思う。誰でも自分が一番かわいくて、自分の利己心に忠実に生きているのである。たとえ自分が人間として卑怯なまねをしても、その時に感じる良心を無視し、利己心さえ満たされていれば良いのである。それゆえに今問題となっている賄賂や横領、詐欺や汚職など、人間としてのモラルに反した事象が次から次へと起こるのである。しかし人間の本能そのものであっても、利己心を抑える努力は必要なことだ。そういう人間の本質を「私」は表しているのだ。

2年5組

 親友であるKが苦しい生活を送っているときに一緒に住まないかと声をかけ、下宿の奥さんとお嬢さんに相談してあげるような優しい人物である。真面目で一流の大学にも通う「私」だったが、自分がずっと思いを寄せていたお嬢さんにKも好意を抱いていると告白されてから、「私」の内側の黒い部分が出てくるようになる。Kをやり込め、そしてついにはKを出し抜いてお嬢さんと結婚することになる。しかしここで「私」の真面目な部分と良心によってKに謝罪したくなる。

 「私」はKを正直者と言い、自分自身を卑怯者だと言っているが、「私」は悪い人ではないと思う。自分と同じ人に好意を寄せている友人を心から応援し手助けができる人は少ないと思う。自分がうまくいくよう相手をやり込めたあとに申し訳なく思うのは、やはり「私」が心の優しい人物だからだと思う。道のために全てを犠牲にしたKよりも「私」のほうがよっぽど人間らしいと感じた。

2年4組

 「私」という人物は、一言では表せない。様々なことを考えて、慎重なときもあるかと思えば急に大胆になったりする。だが、彼の行動を通して一つ言えることがある。それは自己中心的であるということだ。他人の考えを理解しようとせず、自分のためだけに慎重かつ大胆になっている。彼もそんな自己中心的な一面に打ち勝とうとすることもあった。自分の良心の言葉を聞こうとするときもあった。だが勝てなかったのである。結果はただの嫌な奴に成り下がっただけである。文中では、誰かに諭してもらえればよかったなどと言っていた。だがその誰かなどいるはずがないのだ。

 これまで彼への批判を書いていたわけだが、では自分はどうだという話である。自分は良心が利己心に勝っているのか。答えは完全なる敗北を喫していると言っていいだろう。自分はどちらかというと自律の心が弱い。分かっているができない。自分も「誰か」がいればよかったのに、と思うがそれはいない。

2年4組

 人間らしさの滲み出る「私」の人格が描写されていた。人間らしさというものは美しい面と醜い面があると思うのだが、この作品においては後者である。自分の弱さ、相手の強さへの怯えから相手を出し抜き嘘を重ね、またその重圧にたえきれず最終的には自らを苦しめている。全てが終わるときまで自分を守ることに必死になり、最後には罪悪感しか残らない。そのような状況に陥る「私」の利己心の強さ、精神の弱さから人間らしさを感じた。

 一見、卑怯で利己的な非難されるべき人間に思われる「私」である。そのことに間違いはないが、私たちは「私」に対して非難の気持ちで終わってはいけないと思った。なぜなら「私」の姿を人間の心情というものの根底だと思ったからだ。実際に行動に移すかは別として誰もが自らの利潤のことを優先し、相手より優位に立とうとするものだと思う。夏目漱石の伝えようとしたエゴイズムというテーマが感じとれたと思う。

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 さすがに優秀作品に選ばれただけのことがあって、それぞれに自分が感じ取ったことをうまく表現できていると思いますが、こうして読み比べてみると「私」に対する感じ方にも結構違いがあって面白いですよね。

 どんな作品でも読んだ感想は人それぞれですので、そこにあるのは否定や肯定といったものではなくて、共感するかどうかということでしょうか。ちなみに、上の文章で私が特に共感を感じたのは2つ目と4つ目の作品です。私もこれまでに授業で「こころ」を6回教えましたし、それとは別に自分でも本を5回くらい読みましたが、私が感じた「私(=先生)」像はこの二人が書いたものに近いです。

 さて、皆さまの感想はいかがでしょうか?