空は繋がっている!

20世紀最後の年、オーストラリアで日本語を教える機会を得て、半年近く一人暮らしをせざるをえない状況になった。一日の授業を終え、へとへとになった後、15㎞離れたエミリーギャップを訪れ、高台に上る。夕陽が沈む西側はオレンジ色に砂漠の色をさらに輝かせ、反対側の東側は何とも言えない薄いピンク色に染まる。日が沈むほんの数十分の景色を眺めながらこの空は日本とつながっているそう思い何度も自分を奮い立たせた。

 空は思いを馳せる人、思いを馳せる場所と繋がっている。ただ、その事実だけで生きる力をもらえる、天文部のメンバーが芥川高校の屋上で眺めていた空を見ながら20年たった今、改めてその思いを強くしました。遠く離れた地、沖縄と芥川高校の空は繋がっています。沖縄へ思いを馳せながら、多くの人の想いを感じながら、修学旅行に参りましょう。以下は、修学旅行のしおりに載せたご挨拶です。

時を越えられますように!

 きれいな砂浜と青い空、白い雲、強い日差し、紅芋タルト、美ら海水族館。

沖縄といって皆さんが思い浮かべるものはどんなものでしょうか。

 きらきらとまばゆい光に包まれた自然、美しい風景に出会える南の島、沖縄。その沖縄は私にとって父の出身地、祖母の命が戦争で奪われた場所でもあります。父は対馬丸(アメリカの攻撃により沈没)の次の船で長崎へ到着し、陸路大阪へたどり着いたという話を聞いています。祖母は父を港で見送った後、1945年戦闘機の機雷砲で撃たれたようです。私が生まれてから小学校に通学するようになるまで沖縄は日本への返還がなされておらず「田舎はどこなの」と問われた時に幼かったこともあり、答えに戸惑った覚えがあります。

 高校2年の夏、父親が多くを語らなかった船での旅を選び、沖縄の地を初めて訪れました。ひめゆりの塔、健児の塔、摩文仁が丘、ガラビ豪。戦争当時の避難生活などの話を聞き、その当時(1980年)、日本の享受している幸せの裏にある多くの命に思いを馳せました。

 大学時代に一度訪れ、3度目が今回と同様、修学旅行で生徒を引率しての訪問となりました。1998年の3月から20年以上を経ての沖縄となります。沖縄をどう感じるのか、どう見えるのか、何が変わっていて、何が変わらずにそこにあるのかをしっかりと受け止めて、自分を振り返り、これからの人生に向き合う機会としたいと思っています。

 名所旧跡を訪れ、さまざまな体験プログラムが用意されています。催し物も目に映る風景も風の香りもすべてが心に残る大切なものになることは間違いありません。そして、それと同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に、心許せる仲間とたくさんの時間を一緒に過ごし、そこで話したことがみなさんの心の中でこれからの人生を下支えする未来への贈り物となることを期待してやみません。私にとっては過去を振り返りながら現在の自分と向き合う、みなさんにとっては現在の自分と向き合ったうえで未来の自分への橋渡しとなる経験ができれば空間の移動だけでなく時間旅行をも楽しめる有意義な旅となるでしょう。

 私の目標は、みんな元気に出発し、身も心も元気で帰ってきてもらうことです。そしてこの修学旅行を実現させようと懸命に取り組んできてくださった先生方に生徒の皆さんの喜ぶ顔を見てもらうことです。コロナウイルス感染症のために「あたりまえ」のことができない日々の中、高校に入っての初めての宿泊行事です。一人、ひとりがしっかりとした感染症対策をし、細心の注意を払って沖縄への旅を楽しみましょう。

 「あたりまえ」のことに「ありがたみ」を感じられるたくさんの機会を得て、ご家族にも、そして自分自身の心の中にも抱えきれないほどのたくさんのお土産を携えて、そしてそのお土産が未来のあなたに届けられる日を心に描きながら修学旅行を支えたいと思います。