後期始業式あいさつ

          泥棒がいない国

 

 先の日曜日に開かれた定時制通信制秋季生徒発表大会では、生活発表部門、芸能発表部門で軽音楽部、展示部門で写真部が参加し、立派な成果を収めました。後で賞状も渡しますが、参加した人には大きな充実感が残ったと思います。

 

 さて、今はない国ですが、ソ連という「国の連合体」の国がありました。ソビエト社会主義共和国連邦というのが正式名でした。私は1991年8月に行ったのですが、サマルカンドでは夏の盛りなのに、モスクワでは人々がコートを着始めていました。民族も気候風土も文化も多様な、まるで、一つの世界のような国でした。これを治めるのは大変だったろうと思います。細かなことは各共和国が自治をしていて、外交権・軍事権はソ連政府が握るという、アメリカに近い形でした。

 

 行きは新潟からソ連の飛行機に乗りました。まず驚いたのが客室乗務員の女性の体格でした。軽く100㎏は超えていたと思います。当時アメリカで体重57㎏を超えたら客室乗務員にはしないという航空会社が現れて話題になっていました。理由は燃費です。資本主義のアメリカでは運賃競争をしていて、運賃を下げるためコストカットをします。乗務員を高度1万メートルまで持ち上げる燃費まで、すでに問題にされていたのです。こんな計算をしてしまうのがいかにも資本主義的なところですが、ソ連では別の意味があるのかとも思いました。こんな巨大な客室乗務員を毎日1万メートルまで持ち上げても困らないほど、石油にも困らない豊かな国だと印象付けようとしたのか、と。

 

さて、ホテルに着いてレストランに食事に行くと、ウエイトレスが不自然にたくさんいて立ち話しています。お客が来てもやめません。笑顔はおろか、いらっしゃいとも言わないのです。皆一斉にこちらをじろりと見て、また話し始めます。彼らはみな公務員で、別に客に愛想をしなくても、お客が減っても首になりません。無理して愛想良くしても、給料は上がらないから損だと思っていたはずです。最低限の給仕だけして、あとはどこかに行ってしまいました。見物したスーパー・マーケットでは、棚に商品がなかったり、デパートに行っても欲しくなるようなものはありませんでした。

 

かつて、ソ連は泥棒がいない社会だと言われました。泥棒が発生する原因は何でしょう?根本的には、貧困や貧富の格差の大きさでしょう。ソ連では一応職も給料も保障されているし、売っているものは種類が少ない。結局、誰もが食べるには困らない、同じような水準の生活をしていて、自分が持っていないものは他人も持っていない、ということです。泥棒がいないと言うより、泥棒する気にならない社会だったと言ってよいと思います。一つの理想国家ができ上がっていたようにも思えますが、逆に言えば、あんなものが欲しい、頑張って稼いで買うぞ、というような「やる気」が起きない社会でもありました。給料は安いのでほぼ、食べるので精いっぱいです。貯金はできません。

しかしなぜ貯金をするのでしょうか。急な病気や老後の備えのためが多いと思います。しかしソ連では医療費は無料でした。また年金で食べることはできました。貯金の必要はなかったのです。ソ連が崩壊してから、苦しんだのは年金生活の老人たちでした。急激に物価が上がり、年金で食べられなくなったのです。貯金もないし、TVで見たお婆さんは、涙ながらに昔の方が良かったと言っていました。

 

 さて、あれこれ考えながらも2週間の旅が終わり、出国となりました。空港内を見物していて団体から離れてしまい、一人で出国カウンターに行きました。空港の係員にパスポートを差し出し、判を押してもらうのですが、その係員は私の胸のポケットを指さして、「ボールペン!」と言うのです。つまりよこせと言うのです。その態度にカチンと来て、気付くと出入りを制限している板を蹴り上げていました。大きな音がしたので、係員は驚いたような顔をして、仕切り板を開けましたが、悪い仲間を呼ばれていたら無事では済まなかったかもしれません。

 良いところもたくさんありましたが、それ以上に悪印象があって、もう来ないだろうと思ったソ連でしたが、この年中に崩壊しました。いや、社会主義国家そのものが消滅していったのでした。

 

さて、後期は3年の修学旅行、校外学習、文化祭など多くの行事があります。一つ一つの見聞きするものに、向き合ってください。一生懸命参加するほど、行事はより楽しくなる気がします。