前期終業式あいさつ

         下り坂ではエンジンを切って

 

 4月から始まった前期が終了します。私は4月に在籍していた生徒が、転居した1名を除いて全員在籍していることをうれしく思います。また、みなさんの学校生活の態度も良かったと感じています。

 

さて、大村智さんがノーベル医学生理学賞に輝かれました。もう何度も報道されていますが、大村さんは大学を出てすぐ東京の定時制高校の教員になりました。その時、仕事を終え手に機械油がついたまま学校に通ってくる、頑張る生徒の姿を見て、自分も頑張ろうと思い研究の道に進んだといいます。君たちのずっと以前の先輩が、大村さんにモチベーションを与えたということになります。その研究は、アフリカの人達の目の病気の治療に役立つ薬の開発につながっています。毎年何万人もの人々を失明から救っています。この薬の開発でアメリカの製薬会社と組んで、莫大な収入を得られているのですが、大村さんは母校の研究機関や出身地の町の美術館に多額の寄付をしています。この点でも尊敬に値すると思いました。

 

日本でも選挙権が18歳から与えられることになりました。君たちの中に該当する人がいると思います。これは自分の住む国や自治体の在り方を決める基本的な権利です。国の在り方についても、いろいろと考えて行きましょう。かつて私は社会科の教員として自分が体験したことを生徒に伝えようと思い、なるべく多くの国を見ようと思いました。その頃行ったいくつかの国が今ではなくなっています。東ドイツ、ソ連、中国も、です。34年前の中国は今とは別の国です。今は爆買いに来ている普通の人たちは当時、決して外国には行けませんでした。

 

 この3つの国の中で一番先に行ったのが、東ドイツでした。西ドイツと統一される4年前で、ベルリンの壁はありましたが、西から東に行くときは簡単でした。ところが東から西に出るときには厳重で、国境警備員は例えばバスの下に大きな鏡を差し込んでのぞいていました。東ドイツの人がバスの裏に張り付いて亡命するのを防ぐためです。なぜ亡命したいのか。自分の国を捨てるのはどうしてでしょうか。どんな時でしょうか。

東ドイツでは、自由やより良い生活を求めてでした。東は西と比べて貧しかったのです。デパートのショウ・ウインドウをのぞいても、誰が買うのかというような靴しかありませんでした。この国では靴工場が月に何足作ることを決められ、そのノルマを達成すれば工員は一定の給料がもらえたのです。それ以上作っても、どんなに良い靴を作っても給料は同じです。だから、あまり良い靴は作らないし、作る気にもならない。良いものは外国製で、とても普通の人には買えない。売れ残って返品があっても関係なしです。西ドイツならつぶれてしまうような、国営の会社しかなく、競争がなかったのです。もし日本に自動車メーカーが一つしかなかったら、今ほど良い車が出来るでしょうか。当時の東ドイツの乗用車は、デパートで見た靴と同じくらい、悲しい出来でした。

国全体がこれでは豊かな社会はできません。ジリ貧です。そこで技術のある人、身一つで稼げる人が西側に亡命しようとしたわけです。大体給料が3倍くらいになったといいます。例えば音楽家です。楽器は自分のものでなくてもかまいません。その頃大阪で聞いた250年の伝統を持つというオーケストラも楽員に老人と非常に若い人が目立ちました。中核となるべき働き盛りの人がいないのです。後で聞いたところによると、「首席奏者」となったら、その肩書きを持って亡命するということでした。だから今更亡命しても仕方ない老人と、肩書がない若手が残ってしまったわけです。

 

 最後に自動車に関してですが、バスの運転に驚きました。東ドイツ内では普通の速さでしたが、西に入った途端、アウトバーンで一番遅い車になりました。ドイツのアウトバーンは日本の高速道路より起伏が大きく感じました。日本も石油がない国ですから、将来のことを考えて作るときには手間がかかりますが、なるべく山を削っているようです。

さて、ハンガリー製のその小型バスは、登りではヴォルヴォのトレーラーにまで追い越される位の速度で走り、さて、下り坂になるとクラッチを切ったのです。そればかりかエンジンまで止めてしまい、惰性だけで走ります。バスが急に静かになりました。今のオートマチック車ではできない運転方法ですし、確かに究極の省エネ運転ですが、何かふらふらと走ることになり、危険を感じました。考えてみれば、東ドイツでは石油が出ないし、貴重な輸入品である燃料を大切に使うということでこんな運転をしたのでしょう。運転手は、西から帰るときには、いつも燃料を満タンにすると言っていました。旧東ドイツと西ドイツの格差はまだ解消しきれていないようです。

さて、秋休み中の11日には、大阪市の住吉区の教育センターで、定時制通信制秋季生徒発表大会が開かれます。少し遠くですが、時間がある人は見に来てください。本校からも展示、発表など多くの人が参加します。