吾輩は猫である (英語が苦手と思っている君へ)

「吾輩は猫である」、これは読んだことはなくても誰もが知っている夏目漱石の小説です。
以前、英語の先生に聞いたことがあります。「吾輩は猫である」を、英語ではどのように言うのかと。帰ってきた答えは、「I am a cat.」でした。
なんだ、それなら英語を習い始めた中学1年生で習う程度じゃないか。

日本語で「吾輩は猫である」、この一文からもいろいろなことが推測できます。
先ずは、この猫は自分のことを「吾輩」と言っていることから、性別は間違いなく雄、男性です。
次に年齢ですが、「吾輩」などという言葉を使うのは若くはありません。歳の頃なら40歳は優に超えているでしょう。いや、もっと歳をとっているかもしれません。
性格も想像がつきます。「吾輩は‥‥である」との話しぶりからは、一言居士(いちげんこじ)な性格でしょう。すなわち、何かにつけて自分の意見を言わないと気がすまない。もっとわかりやすく言えば、議論好きでうるさ型の性格です。

「拙者は猫でござる」 この猫は、侍です。
「うちは猫どすえ」 京都の舞妓さんの猫ならば、こんな風に話すでしょう。
「おいどんは猫でごわす」 この猫は、九州は鹿児島の猫です。
このように、日本語は表現が豊かで、一言聞けばその職業や出身地までうかがい知ることができます。私たちは普段、そんな奥行きが深く豊かな言葉を使いながら生活しているのです。

さて、そんな私たちの周りにもグローバリゼーションという名のもと、国際化の波が否応なく迫って来ています。日本の企業の中には、日産やユニクロを始めとして英語を社内での公用語として定めている会社もあります。
少し前、テレビで流れていたカップヌードルのCMは、まさに英語の社内公用語に戸惑う日本人社員と外国人上司との関係を戦国時代に見立てたものでした。

英語が苦手な日本人。中学生からずっと習ってきているのに英語が話せない日本人。
本当に私たちは英語には向いていないのでしょうか。そんなことはないと思います。
日本で生活しているうえでは、英語を使わなくても何不自由なく暮らしていけるからです。これは、私たちの先人が苦労を重ねて新たに入ってきた外来語を立派な訳語に仕立て上げてくれたおかげです。外国から新しい思想や制度が入ってくる度にその意味や概念に合わせて漢語として言葉を作ってきました。私たちが普段、何気なく使っている「自由」や「権利」、「憲法」そして「愛」という言葉もそうです。このようにして作られた新しい語彙は、原語(外国語)を使わなくても充分に意思の疎通ができるからです。初めて聞く言葉でもその字を見れば、漢字のもつ意味からおぼろげながら様子が伝わる。普段我々が使っている日本語とは、そんな豊かで奥の深い言葉なのです。

だから、英語ができないなどと、苦手意識を持つ必要はありません。勉学や生活、仕事をする際本当に外国語が必要になったとき、その気になれば私たちは見事に外国語を習得できるはずです。私たちの先人が見事に訳語として新しい言葉を作っていった逆の方法で。

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