1999年、9月、オーストラリアのど真ん中、アリススプリングス。現地に日本語教師として赴任して一か月。新しい環境での興奮期も去り、アウトバックの中・高生に授業中に打ちのめされ始めたころ、妻がうれしそうに言った。ここには「私」がいる。唐突(に感じて)だったので、すぐに理解ができず、注意深く耳を傾ける。「大阪にいたころの自分は「~さんの奥さん」「~ちゃんママ」、誰かに自分のことを呼ばれるとき、いつも誰かとの関係の中の呼称で呼ばれていた。でもここでは紛れもなく「私」である、ファーストネームで呼ばれる。世界で私しかいない私の名前を呼ばれる。それだけでも日本から6000㎞離れたこの町に来た甲斐がある。」と話をしてくれた。
一番近い海まで800km、大都市と呼ばれる海沿いの街とは約1500km離れた町で、幼い3歳になったばかりの娘との新しい生活。大変なことが多かった中で「私」が「私」だと言ってくれた妻の言葉、そして異国から来た日本語教師を町が温かく迎えてくれたことに心から感謝をした瞬間だった。
「校長先生、さよなら」先週の月曜日、下校の放送が流れる少し前、廊下からかけられた言葉。開けっ放しの校長室、私の机は衝立で外から見えなかったはずなのにかけられたその言葉に、ありったけの大きな声で、少し上ずりながら「さよなら、気を付けて帰ってね」と応じ、遠ざかっていくなかで「は~い」という声が下校の放送の中でかすかに聞こえた。
一週間の始まりに大きな勇気をもらえた挨拶。幸せな気持ちになっているその一番奥底に何があるのか考えた。「個」として意識すること、意識されること。世界で一人しかいない「あなた」に向けての言葉。心が躍った原因はそこにあった。
大きな目標ができた。夢といっても過言ではない。時間が空いたら写真を眺めている。朝、挨拶をするときに「~さん、おはよう」1011人の生徒にそう挨拶できる日が来るまで自分の老いと闘ってみようと決意させてもらえた一言でした。