「知らない」ではすまされないこと

          ~  夏休み明けの講話  ~

夏休みの期間中、日頃と違った生活パターンや、どこかに行くことで新しい発見や気付きがあったことと思います。今日のLHRでは、これらの情報交換をしてください。人の話を聞くということは、人を通して経験するという効果があります。

さて、私は福岡県・大刀洗の飛行場跡の平和記念館に行きました。大刀洗飛行場は陸軍のものでしたが、どういう経緯か、ゼロ戦が展示されており、別の機体のエンジンも展示されていたのでじっくりと観察しました。空冷式で、本校でも扱っている現在の自動車の水冷式のものとは構造が違い、シリンダーがむき出しになっています。そのためオイルのパイプが入り組んでいます。そのパイプとエンジン本体の継ぎ目や、パイプそのものが手作りでした。溶接のムラもところどころにあり、苦労して作られていることがわかります。当時、アメリカやドイツではパイプの溶接が機械化されていたといいます。技術的に遅れていた当時の日本の技術者たちの苦労がしのばれました。数十年後の現在では、日本の技術は世界でもトップクラスです。その一端を受け継ぐ君たちには、仕事や技術の習得に対して一層真摯な姿勢を求めたいと思います。

 もう一つ、一緒に考えてみたいことがあります。例えばサッカー場にバナナを持ち込んで、中南米出身の選手に示すことはどういう意味を持つのでしょうか。「(みんなが好きな)バナナを食べて一緒に頑張ろう」でしょうか。それとも何かしら差別的な意味をもつのでしょうか。答えは、後者です。前の講話で、「悪意がなければ、その行為は悪くない」というカントの考え方を提示しましたが、今回の例は、「知らなかった」、「悪意はなかった」といっても、その行為に責任を問われたというものです。この行為をした人は、自分の大好きなチームの試合に出入り禁止になりました。厳しすぎるでしょうか。

つまり、ここで求められているのは、いつの間にかこの世界では、「バナナを振り回すこと」が差別的な行為だと判断されるようになっている、ということを自分の努力で知っておかなければならないということです。これが社会で(トラブルなく)生きるための条件なのです。世の中にはそのようなことがいくつもあるようです。世の中のニュースや動きに敏感になることが必要です。君たちにそのようなことを知るように導くのも、我われ学校に勤めるものの責務の一つです。一緒に努力しましょう。

そういえば、前に話したサッカーでのケガの話ですが、ある難病の治療研究のための募金活動で、氷水をかぶるか、100ドル寄付するかという、「次は誰」という指名の輪が広がっています。この輪の広がりの中で、ケガを負った選手が負わせた選手を指名したというニュースが伝わって来ました。当然ながら、復讐のために「氷水をかぶらせてやろう」という行為でないことはわかると思います。ネイマール選手の人柄が伝わる良いニュースでした。

さて、本校ではこれから先、文化祭や校外学習・修学旅行などの行事がたくさんあります。ぜひそれぞれの準備の課程の中で、多くのことを学んでほしいと思います。今、君たちがしているアルバイトなどはお金が大切なのではなく、仕事をすること、そこで経験することが将来に向けて大切になってくると思います。安全に気を付けながら、一日一日を大切に、生活することを希望します。