夢を持つことの意味

         ~ 冬休み明けの講話 ~

フランスのある哲学者は「人間は自由という刑に処せられている」と言いました。我われは自由に行動することはできるのですが、結果に責任を負わなくてはならない。良いことをすれば、褒められるという結果が与えられますが、悪いことをすれば刑罰を負わされます。自分の生き方を自分で決められるという自由は責任を伴っていて、実はつらいことだという意味です。

今、君たちの中にも、何をしたらいいのかわからない、学校にいる間は良いけれど卒業後が不安だ、という人がいると思います。これは君たちが自由だからです。江戸時代であれば、親の職業をそのまま継ぐのが原則ですから、迷いや不安はありません。その代り、夢は持てない世界です。どちらがよいでしょう。

そんな自由を持て余している我われが、生き生きと生きるために最も簡単な方法は、夢を持つことではないでしょうか。そうすれば、あれこれ迷わず「夢の実現のため」という尺度で生きられる。シンプルな生き方ができます。同時に、何かの夢があるからこそ、一日一日を大切に生活するということが意味を持って来ます。

ここでは、夢を目標と言い換えても良いと思います。欠点なしで全単位を修得するという目標、何かの資格を取るという目標、職場の先輩に技術面で追いつくという目標、バイクの運転で交通違反を絶対にしないという目標、何かの目的のためにしっかり働いてお金を貯めるというのも、良いでしょう。一つの夢の実現の向こうには、また新たな夢の世界が開けているはずです。

 この後のホームルームの時間で、今年の目標を今思いつくことで良いですから、クラスの仲間と自分自身に宣言してみてください。恥ずかしいことはありません。夢を語る自由は、不可侵です。