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今宮教養講座vol.8☆「今高歴史体験講座(古代瓦の拓本体験)」

 本日午後1時から、新自彊会館にて、本年度8回目の今宮教養講座が行われました。今回のテーマは、「今宮歴史体験講座~今宮高校所蔵の古代瓦(実物)の文様を拓本に取って栞などを作ろう」です。講師は長年本校で日本史を教えてられている畠井先生。先週も第7回教養講座「今宮歴史ウォーク」の講師をしてくださりました。

 本校には、かなり古い時代の屋根瓦の一部と思われるものが数点保管されています。畠井先生によると、8世紀頃の朝鮮半島にあった寺院の軒丸瓦や軒平瓦の一部とのことです。それらには独特の文様があって、裏には「昭和7年度八木延身氏寄贈」や「慶州臨海殿址」などの文字が墨書きされています。

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 調べてみると、「八木延身」氏は昭和4年(1929年)から昭和17年(1942年)まで本校で教鞭を取られていた地歴の先生でした。また、「慶州臨海殿」は、7世紀の新羅王宮の別宮のことで、当時にあった鎧瓦だと思われます。

 また、秀吉が建てた伏見城の金箔の瓦のかけらも本校にあります。よく見ると少しだけ金箔が残っているのが分かりました。貴重な文化遺産ではないかと思います。

 軒丸瓦、軒平瓦、鎧瓦などの説明をするのに、10月に沖縄修学旅行で見た屋根瓦を思いました。初めに訪れた玉泉洞で撮った下の写真を見れば、丸瓦の列に挟まれるように平瓦があるのが容易に分かります。沖縄では一般的な民家でもよく見られる光景です。

 丸瓦や平瓦の一番先(軒の部分)の瓦を軒丸瓦や軒平瓦といい、寺院の軒丸瓦は、蓮の花を幾何学的な文様で描かれ装飾されています。古代寺院の瓦葺の形は、沖縄で見られる屋根とはだいぶ異なるでしょうが、丸瓦と平瓦を重ねて交互に葺く本瓦葺の様式です。

 そういえば、日本の寺院の多くは本瓦葺になっています。以前神社仏閣を巡っていた時に撮った写真を引っ張り出してみると、ほとんどが本瓦葺でした。飛鳥寺も下の写真のとおり。すでに飛鳥時代に仏教とともに朝鮮半島から日本に伝わったとされています。

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 今日はこの文様を拓本して、栞をつくるところまでしました。はじめは拓本の練習で、簡単な須恵器のかけら(畠井先生所有)の拓本を取りました。拓本の取り方を丁寧に教えてもらいながら私も挑戦しましたが、簡単とはいえ結構難しいです。

 畠井先生は、「瓦は、考古学では古代寺院を調べる際の重要な資料で、瓦の文様や製作技法を調べることで、その寺院の創建年代や修理年代が分かり、同じ瓦を使用している寺院間には密接な関係があることなどが分かります。文様は「范(はん)」という粘土の型に押し付けて作り、瓦作りの職人がそれぞれに型を持っていて、同じ文様なら同じ人が作ったであろうことや、さらには、同じ文様でも、范は粘土なので使っているうちに古くなって、瓦を比べれば、どちらが後で造られた瓦かが分かり、創建された順序が推定できます。」と仰いました。また、拓本は、写真よりも文様が明確に保存され、しかも安価でできるので、今でも考古学の研究では重要な方法になっているとのことです。なるほどです。とても感銘を受けました。

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 道具は全て畠井先生が準備してくださりました。標本に画仙紙を載せてずれないように固定し、霧吹きで濡らして文様が綺麗に浮き出るように濡れた画仙紙を軽く押していきます。しばらく放置して乾いたら拓本用の油性の墨を使い、てるてる坊主のようなものでポンポンと墨を載せていきます。墨が足りなくても多すぎても駄目で、ちょうどよい程度にするのが難しいです。

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 できたらそっと標本を外して、押し花を作る時のように分厚い本などで抑えて伸ばし、台紙に糊付けしてラミネートすると、栞の完成です。私のは駄作ですが、参加された小学生の方は上手に作っていました。

 実際に古代瓦の拓本を取りながら、瓦から歴史を学ぶ貴重な経験ができました。畠井先生有難うございました。