新しい元号「令和」の文字が万葉集から採られたということで、にわかに万葉集ブームになっています。上高生のみんなも中学や高校の国語の時間に有名な万葉集の歌を学んでいると思います。万葉集には約4500首の歌が収められています。和歌というと、どうしても57577の短歌をイメージしてしまう人が多いのではないでしょうか。万葉集を読んでみると、和歌というものが短歌という枠にだけ納まるものではなかったということがよくわかります。激しい感情が表現を求める時には、多くの言葉が必要とされるのではないでしょうか。親しい人の死を悼む場合にせよ、やるせない恋心を伝える場合にせよ、激情は豊かな表現を求めてやまないでしょう。感情をそのままではなくて、それを美しい言葉で整えて、他の人とその感情を共有できるようにするのが、詩です。柿本人麻呂のすばらしい長歌などを読むと、日本語による詩の良さ、和歌の表現力の豊かさに感動します。万葉集のなかでは、短歌は長歌に比べると、より整えられた表現だと感じます。万葉集の短歌にもすぐれたものが多くあるのは言うまでもありません。ただし、できれば短歌だけではなく、長歌にもぜひとも親しんでほしいと思うのです。残念なことに最近では教科書でも長歌をあまり扱わなくなっているようですが、人麻呂、赤人、憶良などの有名な長歌の紹介は、万葉集のたいていの解説書に載っているので、機会があれば読んでみてください。
さて、令和の文字が採られたのは巻五からですが、私は学生時代に万葉集の演習でちょうどこの文字が載っているところを講義で勉強しました。大伴旅人を中心とした、九州に在住の人々が梅の花を愛でる集まりで、一連の歌が詠まれています。新元号の発表があり、各チャンネルで説明をしているのを聴いて、「あっ、学生時代に勉強したところだ」とすぐにピンときました。その時のテキストは今でも手元にあって、令と和の文字が載っている文章にはたくさんの書き込みがしてあります。高校の国語の授業などではあまり扱われるようなところではないのですが、当時の国際性豊かな九州歌壇の雰囲気がよくわかる、まとまった箇所なので大学の先生が特にとりあげたのだと思います。国風文化になってからの和歌も傑作がたくさんありますが、現代の発想に近いグローバルな奈良時代の文化環境のなかで作られた作品には独特の魅力があります。海のかなたへと広がるような開放性と大和言葉固有のえも言われぬ美しさが融合しているからだと私は感じています。それは、ちょうど新しい時代を迎えようとしている我々にも必要とされているものではないでしょうか。その新時代の中心を担っていくわけですから、ぜひとも上高生のみんなにもそういう感覚を育んでいってほしいと思います。