29 「国語教育」と「国語科教育」の違いについて

「国語教育」と言ったり「国語科教育」と言ったりします。どちらも大切な教育なのですが、テレビで専門家が話すのを聞いていても、混同して使われたりしていて、どうもはっきとしません。大阪弁で言うと「ややこしい」ことです。でも、この二つはきちんと分けて使うべきだと私は考えています。そのほうが、それぞれの学びの特質がはっきりとして、特に「国語科教育」のめざす目標がはっきりとするからです。マスコミ等でとりあげられて、話題になっているのは高校の「国語科教育」のほうのあり方についてです。

言葉を使う力がある、というのは人間の最大の特徴です。他の動物たちも鳴き声のやりとりなどはしているようです。今朝もやかましいことに、早くからカァカァとカラスの鳴き声がしていました。カラスは知能の高い鳥なので、コミュニケーション力もあり、ごみ収集日にどこに残飯の入っていそうな袋があるかという情報を交換しているのかもしれません。しかし、それはあくまで鳴き声であって、体系化された言葉ではありません。体系化され、整理可能なものは、学びによって後の世に伝えることができます。三世代前のカラスが集めたエサの情報が今のカラスに記録として伝えられることは不可能です。人類だけが、ものごとのあり方を記号化し、体系化された言語を持つことができるようになり、記録として残すことができるようになりました。

我々は赤ちゃんのころからその言葉の、母語の学習を始めています。母胎内にいる時から、周りの人たちの言葉を学び始めているという説もあるくらいです。赤ちゃんは自分では体系化された言葉を使えない状態でも、確実に言葉を学んでいるのです。最初は何でも「マァマ」と呼んだりしますが、そのうち「パッパ」とか「ワンワン」とかしゃべり始めます。そうすると、言葉の習得は急加速して単語だけではなく、短い文章を話すようになってきます。親たちが自分を指さして「ママよ」「じいちゃんやで」などと赤ちゃんに言う。これは立派な「国語教育」です。生涯にわたって、我々は日本語にふれたり使ったりしますが、その意味では「国語教育」は生涯教育です。「こないだ番組で言うとったけど、なんか、最近ユー・チュウバアとかいう仕事ができたらしいなあ。なんのこっちゃら、わてらにはようわからへんけど」とお年寄りがテレビで言われていた記憶がありますが、実際にそのように高齢になっても新しい日本語を覚えて使いますよね。

では、「国語科教育」はいつはじまるのでしょうか。学校のような組織で、計画的に日本語を教えられる時からです。言葉は日常生活でも学んでいくのですが、膨大で複雑な日本語をしっかりと習得し、関係する文化について学習するためには、カリキュラムを組んで学習するほうが合理的です。主要になるのは小学校から高等学校にかけての国語の授業での学びになるのは言うまでもありません。この意味では「国語教育」は誰でも行えますが、「国語科教育」を行えるのは専門の免許を持った教員です。広い範囲の「国語教育」の中に、学校などでの「国語科教育」も入っていますが、組織で計画的に集中して日本語について学ぶのは、「国語科教育」を受けている間だということです。堺上高校で生徒が受けているのは、生涯にわたる「国語教育」のなかでも高校における「国語科教育」の授業になります。

その高校の国語科教育が新しくなるにあたって、マスコミなどから注目を集めているのです。これからの堺上高校の国語の授業にも関わる話題なので、その点についても機会があれば、紹介したいと思います。

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