54 センター試験問題に出た「レジリエンス」

昨年度の校長ブログの4回目、21回目、52回目で「レジリエンス」という言葉をとりあげました。これは生きていくうえで役に立つ考え方だ、この考え方を上高生にもぜひ知ってもらいたいと思い、記事を書きました。今年度のセンター試験「国語」(令和2年1月18日実施)の第1問はその「レジリエンス」をテーマにした評論文でした。リード文は「次の文章は、近年さまざまな分野で応用されるようになった「レジリエンス」という概念を紹介し、その現代的意義を論じたものである。」という文章で始まっています。私は昨年度ブログ4回目で、「レジリエンス」はストレスに対処する力で、「ストレスに負けずに目の前のピンチやトラブルを乗り越えることのできる精神の力」だと述べました。

レジリエンスはそもそも物質が持つ弾力や反発性、もとに戻ろうとする傾向や力を意味するようですが、それが精神的な分野で使われるとストレスに対処する力ということになります。センター試験の本文では「八〇年代になると、レジリエンスは、心理学や精神医学、ソーシャルワークの分野で使われるようになった。そこでは、ストレスや災難、困難に対処して自分自身を維持する抵抗力や、病気や変化、不運から立ち直る個人の心理的な回復力」を意味するというふうに紹介されています。

この評論文の結論は、様々な困難な状況を自分だけでは解決できないようになっている人に対してなすべきは、回復力としてのレジリエンスを身につけるようにその本人を援助することが大切だということだと思います。つまり、その人に代わってトラブルを解決してしまうのではなくて、その人自身が自分でそのトラブルを解決できる力を獲得するように助けることを考える必要があるということでしょう。「一人で海にいなければならない人に対しては、魚を渡してあげるよりも、魚の釣り方を教えてあげるべき」だという文章をどこかで読んだのですが、それも同じことを述べているのだと思います。魚を提供してあげればその場の飢えをその人はしのげるかもしれません。しかし、そこからの食糧をその人が自分自身で確保することはできない状況が続くので、むしろ魚の捕り方そのものを教えてあげるほうが大切だということです。

ストレスに対処する力というと「個人のがんばり」というイメージが先行しますが、お互いに助け合うという視点も重要になるということです。そうすれば、どこで困った状態になりやすいかをいち早く共有することで、つぎのトラブルにも対応できますね。

テスト問題であまり見かけないカタカナの外来語が用いられていると、解くほうは焦ってしまいそうですが、この評論は難しい言い回しが少なかったので、あらかじめにこの言葉を知っていなくても、あまり困らなかったのでは、と思います(とはいえ、あらかじめに知っているほうが有利なのは確かでしょうが)。これは私の憶測ですが、もしかすると出題者はこの問題を解く何十万人という若者にぜひこの言葉を知ってほしいと思っていたのかもしれません。受験生の立場はそれこそ特に大きなストレスを抱え、場合によってはつらい状況になりかねないですから、たとえば私ならそういうことも意識して出したでしょう。出題者から受験生へのひそかなエールだったかもしれないというのは、あまりにも想像をふくらませすぎでしょうか。各予備校の分析ではこういう角度からは入試問題を取り上げないと思いますので、書いてみました。