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51 これからの社会で生きていくのに必要な「読解力」をどうとらえるか

今回は上高生にも身につけていってほしい力の一つである「読解力」について書いてみます。この間のPISA調査で日本の子どもたちの「読解力」が対象国中で15位になり、その低さが話題になりました。PISA調査というのはOECD(経済協力開発機構)という組織が行っている教育に関する調査です。外務省によるとOECDには現在34ヶ国が加盟していて、日本は21番目の加盟国になるそうです。市場主義を原則とする国が集まって、それぞれの経済成長に結びつくような成果をあげるために協議や活動を行っています。

OECDの理念を反映して、PISA調査も実際にこれからの国際社会で必要とされる実用的な能力を計る性格が強いようです。したがって、「読解力」といっても、我々が一般的にイメージするものとは異なる部分が大きいかもしれません。

日本のこれまでの国語科教育では、どちらかというと人生の意味合いを深く考えるために、物語や小説作品の登場人物の心情を読みとったり、深い思想をたたえた評論文の筆者の考えを読みとったりすることに重きを置いてきました。人生の意味合いは簡単に表現できるものではありませんので、そういう文章はどうしても内容的に難しくなります。ですから読み解くにも、ああでもない、こうでもないという風にていねいに時間をかけて考える必要があります。しかし、慣れないうちは難しい文章をひとりで考え、時間をかけて読み解くのはしんどくて面倒な作業でしょう。

どうしても手助けをえながら、他の人と一緒に読んだりすることが必要になります。そのためにこそあるのが学校の国語の授業です。わかっていない者は自分だけではない状態状況で、教師のアドバイスをえながら、みんなで考えてみる。なぜ、この人物はその場面でそう言い、そう行動してしまったのか。どうして、この評論の筆者は述べられているようなユニークな結論に至ったのか。

一方でPISA調査で言われているような「読解力」は進展する情報化とグローバル化に適応できるように、わかりやすくて実用的な文章をできるだけ早く、スムーズに読み解くことに重きを置いていると私は感じます。実際にたくさんの情報を処理していかなければならない業務を担当して、文書の読み取りに丸一日かけるわけにはいかないでしょう。可能な限り、早く要点を読みとって、今度は自分が他の人にわかりやすくアウトプット(表現)しなければ仕事が成り立たない。上司や同僚に「急がすけど昼までに、この書類の内容を箇条書きでA4一枚にまとめといて」と言われて、文書内容の把握に何時間もかけることはできません。

あたりまえですが、グローバル化等もからんで情報化が進むということは、扱う情報の量が増えるということです。(たとえば、好きな料理をたずねる。江戸時代までの日本人ならばたいてい限られた和食だけを対象に考えれば済んだことでしょう。範囲がせまいので、お互いに相手の言っていることがわかりやすい。けれども、現代の我々は「知っている」だけに世界中のあらゆる料理を対象に考えることが必要です。私は北欧料理が好き、と言われても知識がないとイメージがわきません。料理はイメージできないと理解できないに等しいので、意思の疎通が難しくなります。)しかも、より正確な情報が求められます。(故郷の味がよいという中国からの来客を歓待する場を設定する時には、おおざっぱに中国料理というのではなく、「四川料理」「広東料理」「北京料理」などというレベルまで区別する必要があるでしょう。)PCやAIが開発されて便利になりましたが、その分、処理スピードも速さが求められるようになりました。

AIはこれから一層すばらしい機能を発揮していくでしょうが、それと情報のキャッチボールをするためには人間にも高度な知識と能力が求められるはずです。ですから、これからの社会を生きていく子どもたちに、OECDが言うような「読解力」が必要になるのは、間違いありません。この意味での「読解力」の育成が求められるのは当然です。

けれども、いくら情報化が進んでも、我々の人生の課題や意味合いが単純で簡単なものになるわけではないでしょう。人生の困難な課題に直面した時に、必要なのは、助けになるのは、人生の課題について表現するために書き手も時間をかけて考え考えしながら書いた、なかなか正解がわからない難しい文章を読み解くほうの力ではないでしょうか。生きる意味などをパッと理解して、パッと生活に反映することはおそらくできません。人生の困難な課題に出会わない人はいないはずです。最近読んだ本に「毎日がピンチ」というふうに表現されていましたが、それは極端だと感じる人にしても、次々と明確な答えのない困難な問題と向き合うことはしょっちゅうだと思います。

だとすれば、これまでの日本の国語科教育で大切に育成してきた「読解力」もやはりおろそかにしてはいけないと私は考えています。小林秀雄という人は、人生の意味合いを考えさせるような本を読むときには、文字の中から人間として立ち現れた作者や筆者と握手できるようところまでの読み方をすることが必要だと述べています。その小林自身はドストエフスキーや本居宣長などの文章を通して人がこの世に生きるということの根本的な部分について深く考え抜いた人でした。難しいですが、その文章からは非常に大きな感銘を受けます。

以上のようなことをふまえて、さて、A深い思考を伴うような「読解力」、B実用的な文書を理解するような「読解力」のどちらに重点を置くべきなのでしょうか。新しい教育推進派の人たちはBだというはずですが、大学の先生などにはAだという人が多いでしょう。私はそもそもどちらかを選ぶのは無理だと考えています。現状をふまえると、AもBもどちらも子どもたちがこれから生きていくのに必要な力です。ですから、ABともに育成するような国語科教育が求められると思います。

では、どうすればよいのか。ABがともに育成できる教材の開発、単元や授業の構成の工夫などが必要になるでしょう。特に教材開発については、これまでの開発の叡智を結集して何とか行ってほしいと思います。他国との貴重な比較データが得られるので、PISA調査の数値を無視するのは現実的ではないと思いますが、いたずらにその結果に振り回されることなく、腰を据えた総合的な、ABともに合わさった「読解力」の育成を日本の国語科教育は目標とすべきでしょう。