63 梅の季節に ~菅原道真の伝説~

大阪でも各地の梅の名所で美しい花が咲いているようです。今回は上高生に向けて、この季節にふさわしい伝説について書いてみたいと思います。梅は桜ほど華やかではありませんが、独特の枝ぶりと花びら、つぼみの付き方などが古来から人々の心を強くひきつけてやまない花でした。梅とゆかりのある人物と言えば、第一に菅原道真ということになるでしょう。九州に左遷(させん)されるにあたって、道真は庭の梅との別れを惜しんで「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな」(最後の五音が「春な忘れそ」になっていることもあります)という和歌を詠んだとされています。

「春の東風が吹いたならば、その良い香りを私のもとに届けておくれ、わが愛する梅の花よ。この家の主である私がいなくなったとしても、けっして春の到来を忘れてはいけないよ。」この歌からは「飛梅(とびうめ)」伝説も生まれました。古典の時間に歴史物語「大鏡」を教えた時に、その場面を授業で扱ったことがあります。これほど道真に愛された庭の梅が、その道真を慕って彼が流された「大宰府(=太宰府 だざいふ)」まで飛んでいったというのです。そんな非科学的な、というのは簡単ですが、のちに天神として崇拝された道真という悲劇的な歴史上の人物に美しい花との強いゆかりのロマンを人々は感じ、いっそう崇拝の念を濃くしたのではないでしょうか。現在も太宰府天満宮を訪れると、「飛梅」という梅の樹が植わっていて、多くの人たちが記念写真を撮っています(私が訪れたのは残念ながら梅の季節ではなかったので、花は咲いていませんでしたけれども、写真は撮りました)。

我々に近いところでは、大阪の夕陽丘にも道真と梅をめぐる伝説があります。「大阪(坂)七坂」といって、夕陽丘には七つの美しい坂があります。その一つに「天神坂(てんじんざか)」があります。名前の由来は坂に隣接する「安居天神(やすいてんじん)」にあります。<昔、九州へ左遷される途中で意気消沈した道真公がこのあたりで安居(やすい=休憩)しました。その時に村人のおばあさんが傷心の旅の慰めにと美味しい「おこし」菓子を献上したのです。その美味しさと心づかいに感激した道真公は、今後この菓子の徴(しるし)として自分が愛する梅の紋を使うようにとそのおばあさんに言いました。>

これが大阪のおこし菓子に梅紋が使われるようになったいわれだ、という伝説があるのです。これも後世のあとづけ話だと言うのは簡単ですが、大阪の食文化と人の優しさにまつわる哀しくも美しい伝説だと私は思っています。以前、別校に勤務している時に、PTAの方々を七坂に私が案内するイベントがありました。安居天神横の天神坂でこの話をすると臨場感からか、みなさんとても心を動かされていました。想像力が羽ばたいて、道真と村人のその現場に一瞬タイムスリップするような感じがします。こういう時にやはり景色は重要で、美しい坂の様子がいにしえをしのぶのを助けてくれます。つらい旅をする道真やそれを慰めてさしあげようとする村人の姿は、自身が心にしんどさを抱えたり、知り合いを優しく励ましたりしながら今の現実の大阪を生きる我々自身の姿にも重なるのではないでしょうか。たしかにある意味で歴史や文化は知識ですが、それを豊かに感じる心が根本的には大切だと私は考えています。そういう心は可憐な梅の花の美しさを深く味わえる心でもあると思います。