71 春を詠んだ百人一首 ~光孝天皇御製~

コロナウイルス関連の日常生活への影響が大きくなってきています。こういう時でも視聴率などをあげるために不安を高めるような劇場型の報道等が多いことは現代日本社会の課題の一つでしょう。本当に必要な情報との区別が難しいため、かえって情報への信頼が低くなってしまいます。専門家である医師たちの意見でさえ、番組によってまちまちの状態です。楽観論は鳴りを潜めて、悲観的な見方が一層幅をきかせる風潮が加速しているだけに、余計に情報面での取捨選択が必要になります。

さて、気分転換のため、2回にわたって文学の話をしましょう。春の和歌をとりあげますが、今回のものはウイルスのことがなければ、もう少し早く載せるつもりでした。時期がずれましたが、載せておこうと思います。

現代の感覚でいくと、春は3月くらいから始まる感じでしょうか。2月はまだ寒い日が多いですね(今年は暖かかったですが)。正月に「初春」という言葉を使うことからもわかるように、旧暦の正式な区分では1月から春になります。1月から3月いっぱいまでが春になるので、桜の花が咲く4月は初夏になり、現代では感覚と知識の間にずれがあるがわかります。

さて、百人一首には春を詠んだ歌はいくつあるでしょうか。正解は8首です。小野小町の「花の色は」で始まる歌や紀友則の「ひさかたの」で始まる歌が有名ですが、今日は光孝天皇の歌をとりあげてみます。この歌は帝がまだ親王(皇子)であった時代に詠まれたものとされています。ちなみに、皇子は帝の男子で親王(しんのう)ですが、帝の女子である皇女は内親王(ないしんのう)です。非常にすぐれた歌人に式子内親王(しょくしないしんのう)という女性がいますが、皇女だったことがわかります。話を光孝帝の歌に戻しましょう。次の歌です。

君がため 春の野に出でて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ

現代語に訳してみると、「あなたのために春の野原に出かけて若菜を摘むのですが、その私の服の袖に雪が降っているのです」となります。現代語訳を読んだだけでは、どうしてそれが良い歌なのか、なかなかピンときません。簡単に解説してみます。あなた「君」というのは男性か女性か、定かではありませんが、後でも述べるように作者にとって大切な人です。「春の野」というのは現在の京都市右京区あたりにあった野原だそうです。「芹川」という川が流れていたそうです。「せり」の川という命名ですから、いかにも野草がたくさん生えていたことが想像されます。ここで「若菜」というのは単なる野草ではなく、食用になる草です。春の時期に摘んだ食用の野草を食べると長寿になるという言い伝えがあります。死んだように息をひそめていた動植物が蘇生するように出現する春の初めの新鮮な野菜を食べることで、その生命力をとり込むことができるはずだというイメージは理解しやすいのではないかと思います。そういう若菜を摘んで長生きしてほしい気持ちを込めて食べてもらう相手ですから、冒頭の「君」というのが皇子にとって大切な人だったことがわかります。「衣手」というのは袖のことです。若菜を摘もうと腕を伸ばす。すると袖のところにぽつりぽつりと雪が降ってきます。まだ寒い春だと実感できますよね。寒くても大切な人のために心をこめて若菜を摘むわけです。寒くてもすでに春の訪れを告げるように若菜は芽吹いて成長しているのです。摘み手にシンクロしてその春の野に立ってみましょう。イメージの中で摘んでみてください。大きな景色は鮮やかで柔らかい緑の野一面に空から淡雪が降っています。そのなかでフォーカスされるのは、自分の袖(イメージ的には雪の白との色彩対比がはっきりとする紫系統などの濃い色でしょうか)に降り続ける雪です。

早春に大切な人のために行う若菜摘みを皇族が行うということは儀式的な意味合いを帯びているのかもしれません。この歌自体にそういう普遍化されたものを感じます。しかし、それを帝の私的なやさしい行為のイメージとして和歌は表現することができるのです。「雪はふりつつ」という表現はたくさんの和歌で使われている印象があります。昔の人々にとって、固形のまま天から舞い降りてきて、スッと消えていく雪は現実となった幻想そのものだったのではないでしょうか。そらから降ってくる雨や雪、加えて雷などもそうでしょうが、科学的な知識を持つ現代の我々とは全く違う感覚やイメージで、たとえば畏怖や憧憬の対象としてとらえていたと思います。それはその可憐な美しい雪と対照的に生命力の息吹を保つ新鮮な若菜とを親しい大切な人の長寿を祈る気持ちに包んで表現しているところに、この歌の優美な抒情が感じられます。

不思議なことに文学は我々の心をケアしてくれます。少しでも、やさしい心の活性化につながればと思います。

カレンダー

2024年4月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30