残念なことにオリンピックが延期になるそうです。近年、スポーツもショー化していて、それに慣れた我々も日常を活性化するためのハレの行事的なものをスポーツイベントに期待していますから、高校野球春の大会といい、オリンピックといい、その他の多くの試合など、延期や中止になると、それがストレスになります。日常でふだんよりも我慢しなければならない状態のところに、イベントごとの延期中止が重なりますから、「いつまでこの状態が続くのか」という不安が失望になり、やがてイライラに変わってきます。
こういう時にこそ、この状態に見合った生活スタイルを考えていくべきでしょう。マスコミもいつまでも劇場型の不安をあおるような報道をするのをやめて、人々が心身ともに元気になるようなニュース作りをしっかりとしてほしいと思います。(「罹患した人=自己管理のできていない迷惑者」であるかのような情報流通がされているかぎり、「自分はそういうふうに思われるのはいやだ」という風潮がつづき、日本の正式な患者数把握につながらず、やがて一挙に拡大することにつながりかねないことを心配します。)
現代の日本社会は構造的に様々な課題を抱えていても、平常時は人々のがんばりで何とか持ちこたえている状態ですけれども、これが災害や集団感染症発生時などの非常時になると、その弱点が露呈して持ちこたえることが難しくなります。(たとえば、観光産業が外国人観光客重視に構造シフトし、外貨に依存する構造になっていることなど。私も学校行事関係で、外国人観光客重視のあおりを受けて不愉快な思いをした経験があります。こういう経験はふたたびその地に行くことをためらわせる原因になり、今回のようなことがあると、そこの観光産業をやがて空洞化させてしまうでしょう。)
教育現場も、今は社会の動静の影響を受けやすい状態に変わりましたから、こういう事態の時には本当に右往左往することになります。朝令暮改を批判するのは簡単ですが、指示や通知を出すほうも事態の推移を予測するのが困難なので仕方がないのかもしれません。教職員、保護者が協力して、児童生徒のために冷静になって、こういう時でも可能な良質の教育活動を継続する方策を考えていきたいと思います。(授業形態もしばらくは話し合いを取り入れるのを避けて、一斉に前を向いて受けるスタイルにしたほうがよいかもしれません。)
さて、気分転換をしましょう。梅の花の時期に菅原道真の和歌をとりあげて解説しました。すでに咲き始めているところもあるようなので、桜を詠んだ和歌もとりあげてみたいと思います。在原業平(ありわらのなりひら)の歌です。業平は伊勢物語の多くのストーリーの主人公とされていることでも有名ですが、大変すぐれた歌人でもありました。
「色好(いろごの)み」という言葉あります。好色(こうしょく)と同じ意味にとられがちですが、そうではありません。わかりやすく言うと、他者にとって恋愛感情という点で非常に魅力的な存在であることを「色好み」と言います。とてもベタな表現を使えば、「恋心を誘発する力を持つ人」と言えばいいでしょうか。誤解さえしなければ、ある特性の魅力をあらわす「セクシー」という英語のニュアンスに近いかもしれません。「色好み」と出会うことによって、人は自分が恋愛感情を抱く心と体を持つ存在なのだということに目覚めるわけです。
日本の物語史上で最高の色好みは「光源氏」です。源氏物語の中で、女性たちは光源氏との様々な関係ゆえに大きな苦悩を抱えるのですが、同時にどうして自分がこの世に女性として生まれて、存在したかというアイデンティティをその関係の中で自覚します。政治的な理由や役割で成立する婚姻では味わえない、感情の大きなうねりを光源氏という存在自体がもたらすのです。ですから、女性たちはなかなか光源氏の魅力に抗しえません。服装のセンス、芸事への造型の深さ、「物のあはれ」を知る心情の豊かさなど、あらゆる面で理想的な魅力的存在です。(現代の言葉でいえば、宮仕えの女性たちにとってスーパーアイドル的に描かれていると言ってもいいでしょう。)こういう人物を造型した作者の紫式部は本当にすごいと思います。
さて、光源氏は架空の人物ですが、在原業平は実在しました。在原業平も「色好み」の貴公子で、第一級の歌人として和歌がうまく、美男子だったとされています。光源氏の造型に影響があったという説を唱える人もいます。ただし、当時権力の強かった藤原氏に反する勢力に属していたので、政治の世界では不遇だったとされています。ここでは詳しく述べませんが、伊勢物語ではこともあろうに、その藤原氏の姫君と業平との命がけの恋の様子が描かれたりしています。伝説の「色好み」が業平でした。ちなみに、八尾にある高校に勤めていた時に、大阪にも業平伝説が残っていることを知って、古典で伊勢物語を扱った時に紹介したことがありました。(少し紹介すると、八尾地域で娘がいる家庭では特定方向の窓を家に作らなかったり、そちらの窓から女の子は顔を出してはいけないと言われたそうです。天理から高安山を越えて河内に通ってくるという噂の色好みの業平に見初められては困るからです。その時の同僚でその地で育った女性の方から聞いたので、驚くことにこの風習は昭和までは残っていたようです。ちなみに、業平が通う途中の地である法隆寺の付近では未婚の女性たちが顔に墨を塗って、あえて醜さを装い、業平に見初められないようにするという奇祭がありました。そこには女性たちのカッコいい男性に出会いたいというドキドキ感の裏返しの要素も含まれている感じがします。「キャーッ、あの業平さんに誘惑されたらどうしましょう」というところでしょうか。)さて、その業平の詠んだ桜の歌です。
世の中に たえて桜の なかりせば 春のこころは のどけからまし
「この世に桜の花というものがなかったならば、春をすごす心のあり方も落ち着いたものであったろうに」この有名な歌は桜の花が気になるので、春になると心が落ち着かないということを詠んだものだと解説されます。解説がそこで止まると、そんなものかなあ、という反応ですね。もう一歩想像力を働かせて、歌の中に踏み込んでみましょう。業平は春になるたびに、目にする桜の花のあまりの美しさに心を奪われてしまうのです。この自分のなかにしみいってくるような美の世界が、はなかく、無くなってしまうことに心が堪えることができないというのです。自分の感性は桜のこの美しさを存分に感じると同時にそれを失ってしまうことをとても怖れてしまう。また、来年も咲くから、などということではとうてい納得できない。この美しさは、そしてこの感動は、この春しかないのだから。ああ、もうすぐ桜の季節だなとそわそわと落ちつかない状態から始まって、寝ても覚めても散りゆく桜のことが気になってしまうに至るまで。おそらく業平は春になるごとに美しい桜の夢を見ていたことでしょう。歌のしらべはゆったりとやさしいのですが、内容はまるで激しい恋心の表現です。こういう感性や心のあり方が人を激しく愛することのできる力に結びつくこと、そしてそういう力を持った人間がたとえば異性からみて魅力的であるのは当然でしょう。大阪の僧で国学(特に万葉集研究)の大学者である契沖(けいちゅう)という人も在原業平の柔らかい感性を絶賛する文章を書いています。貴族たちにとって、和歌を詠むことは社交のうえで必須の教養でした。けれども、そういう実際的な理由だけではなく、「みやび」や「あはれ」を深く感じる心を持った人間が恋愛のうえで、いやひとりの人間として非常に魅力的に感じられるのが言うまでもないからこそ、昔の貴族たちは競って和歌の修練に励んだとも言えます。