8月4日(月) パースの3日間

 29日夜、韓国との交流2日目終了後、ただちに関西空港に向かい、シンガポール経由オーストラリアに向かいました。ハードスケジュールですが、過去からこういうのには慣れていますので、搭乗するとほっとしました。眠ろうとすると気流の影響でガタガタと来るものですから、眠れなかったのが残念です。本校生徒10名は語学研修にちょうど1週間前に旅立っており、校長が渡豪するのはCarey Baptist College との「姉妹校提携調印式」に参加するためです。当初昨年調印する予定でしたが、オーストラリアの保護者が放射能が怖いという理由で生徒が来日しなかったため、今年こちらから行くことにしました。30日(水)の午後、パース空港に到着しましたが、学校の様子を確かめておきたかったので、まっすぐ学校に向かいました。学校の中を案内してもらい、懐かしい感じを覚えました。幼稚園から高校までが、同じ敷地内にある一貫校だからです。私が通学したカトリック校も同じでした。その日の午後は生徒たちは研修で校外に出ていましたが、ちょうど学校で生徒たちにも会えました。英語圏で1週間暮らし、少し疲れているようにも見えました。その夜は、2名の付添教諭と食事をしながら打ち合わせをしました。

 31日(木)は、いよいよ調印式です。9時前から始まる集会で生徒が数百名集結する中、集会の約3分の1の時間を使って、調印式とスピーチ等が行われました。10年のお付き合いがあり、これからも友好を深めていきたいと考えていますので、姉妹校になるのは自然な流れであると思います。オーストラリアの国の花であるGolden Wattleの花と日本の桜の花をあしらった同意書にサインをしました。なかなか経験できないことだと思いますが、着任した時からのイメージどおりでした。スピーチの冒頭の紹介で、校長になる前は海軍にいたといったら、案の定会場はどよめきました。大阪と福島は700㎞も離れていて放射能は心配ないから、来年は来てくださいと話しました。調印式の後は、生徒たちの英語の授業を視察しました。わかりやすい教科書を使っていて、私も習いたいくらいでした。校長がお茶の時間をとってくださり、副校長が校内を案内してくださいました。音楽や工芸等実学分野にも力を入れている総合学科のような学校でした。小学生は、日本語かインドネシア語を学んでいます。午前、午後と本校生徒は小学生の日本語クラスに行き、参加しました。にわか覚えで「大きな栗の木の下で」の日本語と英語バージョンを覚え、自己紹介とともに披露しました。小学生からは、日本の生活や文化について多くの質問が出ました。お箸の使い方を一緒に学びましょう、ということで、リボン型のパスタをお皿に移し替えるゲームをしました。5クラスもあり、同じことを5回見学すると、さすがに疲れましたが、小学生にとっては初めてのことでもあり、嬉しかったのだと思います。夜は、校長主催の歓迎会を開いてくださり、ごちそうになりました。ワインが進むにつれ会話も弾むようになり、オーストラリアとの関係はホストファミリーとして1年間高校生をあずかったり、娘がタスマニアの姉妹校に留学したりと、話題には事欠きませんでした。

 8月1日(金)は、ITメーカからICT教育が進んでいる学校を2校紹介されていたので、日本からの視察団とともに研修に行きました。Scotch College という男子校とPresbyterian Ladies' College という女子校で、どちらも100年以上の伝統校でした。しかも小学校から高校までの一貫校でした。寮もあり、かなり裕福な子弟が通学しているように見えました。そこでは、タブレット端末を個人が持つのは当たり前で、各教室にもプロジェクターがあり、グループで使えるよう電子黒板がいくつもありました。教科に合わせた教室のつくりや机、いすの工夫とか、一斉授業はほとんど行われていませんでした。教科書はすべて電子化されており、宿題や課題もも電子的に提出します。成績もインターネットで親が検索できるシステムになっていました。個人情報やセキュリティーの概念がしっかりしているのでしょうね。高2、高3くらいになると、授業はほとんどなく、自分で勉強している生徒をよく見かけました。自主研究もユニークな発表が見られました。コンピュータやシステムのメンテナンス専門のスタッフも数名おり、生徒たちのニーズに応じます。2年に一度はソフトを更新するということですから、必要なことでしょう。学校指定の端末を生徒は購入するということでした。予算的裏付け、連続した教育環境等が整っていない日本の公立高校で、表面的なことだけをまねるのは、極めて危険であるという感想を持ちました。めざすところは堅持しつつ、どのように実行するかについては、アプローチをよほど研究する必要があると痛感しました。

 午後は、フリーマントルの様子を見に行きました。フリーマントルは、南極に行く砕氷艦しらせの最後の寄港地なので、一度は行ってみたいと思っていました。フリーマントルの町並みは入植時代を思わせる景観でしたが、1980年代後半、大きなヨットの大会が開催されることを契機に街並みをつくりかえたとのことでした。金曜日はマーケットが開かれる日で、人出も多かったです。Farewll が学校で行われるので、遅昼の後は急いで学校に帰りました。生徒たちは、1分間スピーチができるようになり、一人ずつ感想を述べました。そして「大きな栗の木の下で」をホストファミリーや先生たちに披露しました。校長先生からは修了証を一人ずつ渡され、記念になりました。両校長のスピーチ、付添教諭のスピーチのあと、お茶とお菓子の交流会が行われました。生徒たちは、ホストファミリーや先生に招待状を渡し、Farwell Partyは、とてもいい雰囲気の中で行われました。夜は、2名の教員の慰労会を行いました。12日間もの間、緊張の連続だったと思います。気候は日本と逆の冬ですし、オーストラリアの物価は高く生活もしずらかったと思います。国際交流委員会の教員たちの協力で、生徒の語学研修も姉妹校提携の調印式も成功しました。

 最後の2日(土)は、ようやくパース市内を見て歩きました。冬とはいえ、コートを羽織るとちょっと暑いかなという気候になり、雨が降らず天候に恵まれたからだと思います。一週間前は大雨だったとかで、そろそろ春が近いのかもしれませんね。あっという間のパースの3日間でしたが、校長として様々なことができ、考えさせられましたので、とても有意義な3日間でありました。Carey校とはこれからもお付き合いを続けていけると思いますし、生徒たちは外に発現していなくとも、中ではすごく衝撃を感じていると思うので、長い目で見てこの体験を大切にしてもらいたいなと思います。