高槻城跡にある槻の木高校

本校は高槻城跡に校地校舎があります。本校の正門は高槻城本丸の正門と同じ位置にあり、体育館は天守閣のあった場所に建っています。

明治維新後、高槻城はその役目を終え、石垣は高槻駅(現JR)の整備などに使うために撤去、更地になってしまいました。そのため、本校が城跡にあるとはよくわからない状況ですが、校内には石垣用の石(本校の体育館改修工事等の際に掘り出されたもの)がいくつか残されていました。現在、音楽棟横に集めて展示しています。

また、本校の北東角の三角状のスペースには高槻市が整備した「高槻城跡」の石碑や説明版、出土した石垣がおかれています。実はこのスペースも本校の敷地で高槻市に貸与しているものです。

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来年の令和4年度には本校の前に「高槻城公園文化芸術劇場」が完成し、北摂地域の文化活動の中心地となります。本校は歴史と文化を身近に感じることのできる非常に恵まれた環境にあります。