北館の玄関には、外来者靴箱のところに「翠」と「翔」の書が飾られています。これは、八尾翠翔高校3代目の校長先生が書かれた作品になります。「翠翔」という言葉はどこからの引用でしょうか?なぜ「八尾翠翔」なのでしょうか?「翠翔」の名付け親は初代の校長先生です。八尾東高校と八尾南高校の統合校になる新高校に対して両校の思いを引き継ぐという意味で、2校のそれぞれを表す漢字一文字を探して合わせたのが「翠翔」という言葉になります。「翠」は八尾東をあらわす文字で、「翔」は八尾南をあらわす文字です。新高校はもともとは「翠翔」高校もしくは「翠翔館」高校の予定で動いていましたが、当時は地名がマストという指導が入り、「八尾翠翔」高校になりました。そして、八尾東の校地を使用したので東の守り神が「青龍」で3代目の校長先生が座右の銘にされていた「盤石」を音をあてて書いたのが「番然」というように聞いています。(最後のは自信が少しないですが...)