39 詩を味わう力を身につけよう

電車のなかでも若い人たちが夢中になって見ているのは、スマホの画面がほとんどです。お説教臭く、そのことを非難するつもりはありません。大人の方でも見ている人は多いですし、現代の我々の生活とスマホからの情報とが切り離せない状況になっているのもたしかです。どこかに出かけるにしても、以前には大きな地図を見て、本の時刻表を調べて、という具合でした。トラブルがあって電車が遅れたりすると、状況が分からず、別のルートについても急にはなかなかわからないことがほとんどでした。今は、路線情報等を調べればすぐにどうすればいいかがわかります。私の若い頃に比べて、そういう点では非常に便利になりました。とにかく昔のほうがよかったと言って、文明の進歩をいちがいに否定することは間違っていると思います。

大切なことは、便利さの中で、忘れられてはいけないこと、忘れられていってしまうのが惜しいことをきちんと理解することでしょう。大人世代は若者にアドバイスすることをためらうことが多い時代です。スマホで調べればわかるようなレベルの知識を伝えても、感心されません。テレビのクイズ番組でも、「よく知ってるなあ、この芸能人」で終わりです。ネットで検索すればわかるような知識であれば、人間の記憶力は機械に負けてしまいます。

単純な知識レベルで、物知りぶって先輩が後輩に情報を伝えることはナンセンスでしょう。ですが、前回の記事で書いたような記憶のデータベースと実際の使用状況を結びつけてパフォーマンスを行なう力などについては、経験知がものを言います。今回私が伝えたい「詩」を味わうことも忘れられてはいけない、そういう力の一つです。何でも損得ではかることが多いので、「詩なんか読んでも何にも得になれへんやん。テストにもあんまり出やへんて聞くし。」というふうに考えている人は多いと思います。たしかに、詩は何かのマニュアルになったりすることはありません。では、それを読むことは時間の無駄だということになるのでしょうか。私はそうは思いません。今回も少し長くなりますが、なぜなのかについて書いてみましょう。

ファッションのよいセンス、食べ物の味わい、音楽の細かいニュアンス、それらがわかる力があったほうが我々の生活が豊かになることは間違いないでしょう。お金をたくさん持っていることばかりが豊かな生活を生むわけではありません。たとえば、ものの味の違いがわかるほうが、それぞれの食べ物の個性に気づくことができて、様々なおいしさを経験することができます。お金があるといいのは、高価な食事をすることが可能になるからです。ファッションでもそうで、高い服でも買うことができます。でも、お金でセンスや味わいの微妙なニュアンスがわかる力そのものを買うことはできません。ただし、ファッションや食事に関しては、それにかけるお金があるほうが、経験できる数に反映することは確かだと思います。

それらに比べて、詩を味わうことはどうでしょうか。文庫本の詩集は何百円です。お金が無くても図書館で借りることができます。詩の言葉を味わうことで我々は心を豊かにすることができます。人の喜びやいたみ、哀しみ、物ごとの美しさなどに対するセンスを磨くことができます。そのセンスがいかに人生を豊かにしてくれるかは言うまでもありません。心の豊かさはともに生活していく人たちの生活も豊かにすることに結びつくはずです。

中原中也の恋の深い哀しみ、宮沢賢治の宇宙や自然の純粋な美しさなど、味わうと本当に心身にジーンと響いてきます。有名な詩人の作品が親しみにくいというのであれば、好きな曲の歌詞だけをよく読んでみることから始めてはどうでしょうか。案外、我々は歌詞の内容にそれほど注意を向けていないことが多いのではないでしょうか。

古い歌になりますが(実は若い頃に授業でこの歌の分析をしたことがあるので)、私の学生時代に女性の切ない恋心を唄って大ヒットした曲に松田聖子の「赤いスイートピー」があります。松本隆(この人の作詞には詩心があって、良いものがたくさんあると思います)が作った、その1番歌詞の最初は「春色の汽車に乗って海につれていってよ」です。皆さんに尋ねます。「春色」とはどのような色でしょうか。なぜデートに行くのに、この女性はたとえば自動車などではなくて「汽車」でつれていってほしいのでしょうか。「海」とはどこのどのような海でしょうか。

その答えはこの歌の歌詞全体を読まないとわかりません。何より、この詩で扱われている男女のイメージを直観的にとらえないと、自分なりの答えは生まれてこないでしょう。イメージをとらえるためには、自分がその女性なり、男性なりになって、メロディーも含めた歌の世界に入ってこの恋の場面を経験しなければなりません。(私なりの答えはありますが、文章での説明はやめておきます。興味がある人は歌詞を読んで考えてみてください。)この歌が大ヒットしたのは、歌手松田聖子の魅力やメロディーライン(作曲はユーミンだったと思います)の優しさだけではなく、この歌詞内容が当時の若者の心に与えたものの良さが広く共感を呼んだことにあったと私は考えています。

国語の現代文の授業でこの話をした時に、生徒たちが大変おもしろがってくれた記憶があります。(今でも教壇に立っていたら、上の答えなどをグループで考えるアクティブ・ラーニングを取り入れると思います。各グループからの発表はみんな興味津々になって、おもしろいでしょうね。)上高生のみなさん自分の好きな曲の歌詞をじっくりと読んでみて、詩のおもしろさがわかったら、ぜひとも有名な詩人たちの作品にも親しんでほしいと思います。日本語の美しさをとおして、心を豊かにしましょう。