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46 年末から年始へ 【時間と空間の境界の民俗学~古典を理解するために~】

今回は上高生のみんなが古典の勉強をする時に、必要な知識について説明します。12月31日のことを「大晦日(おおみそか)」と呼びます。「晦(かい)」という漢字は月の満ち欠けに関係して使われていたようですが、訓では「くらい」と読みます。「晦日」は「かいじつ」という音読みもあるようですが、月が隠れる日(つきこもり→つごもり)を意味する「晦(くら)い日」でした。空の月は誕生と消滅を繰り返します。すなわち我々が一ヶ月と呼んでいる期間、毎月の「月」の期間に、です。

1日(ついたち)は「新しく月が立つ=つきたち」で、月が生まれる日です。新月の日です。ひと月の真ん中の15日は満月の「十五夜」です。それに対して、月末は月が隠れてしまう日でした。昔は30日まででしたから、「みそか」がその日だとされたのです。「みそじ」が三十歳代をさすように、「みそ」=30を表します。30の日だから「30(みそ)日(か)」です。ところが、新しい暦では31日まである月もでてきたのですが、月末の日をそのまま「みそか」と呼んでいるのです。国語の古典を学ぶにはこういう月の知識は欠かすことができません。たとえば、古典作品に晦日の夜と出てくれば、真っ暗な夜を意味します。十五夜に月見に出かけたというのであれば、まだ比較的明るい夜だったと想像できます。

よく想像してみると、昔は電燈などありませんでしたから、夜には星空に月明りだけがこうこうと目立っていたことでしょう。今のように視界をさえぎる高い建物もありません。人々はいやでも空の月の姿を目にすることになります。まるで生き物のように、日々姿を変えてのぼっては沈む「お月さん」。月のパワーが最大になる満月の夜と消滅の月末とでは夜に漂うエネルギーが違うと思われたことでしょう。

異界との境めの扉が開くような伝説がそういう時に設定されているのもうなずけます。時の境界の移りめには空間的な境界の扉も開く。空間の境界が異界との扉のある場所だとされているのはいろいろな言い伝えや風習からも明らかです。

浦島太郎が亀を助けるのは海と陸の境めの浜辺です。竹取の翁がかぐや姫を見つけるのは、山と人里の境めにある竹林でした。たたみの境めを踏んだりすると昔は縁起が悪いとされました。様々な空間の境めに多くの神仏が祀られていることには理由があるのです。(「千と千尋の神隠し」のオープニングを思い出しますね。)通行するときに、無事にここを通らせてくださいとお供え物をしたのも気持ちがわかります。謎だと言われる「通(とお)りゃんせ」の歌詞を思い出しましょう。あのような言葉を聞いたならば、お供えをして無事に行き帰りできますように、と思うのではないでしょうか。「天神様(てんじんさま)の細道」とは「俗」と「聖」の境めの通路を意味すると私は思います。ちなみに「七つのお祝い」という歌詞が出てきますが、七歳は年齢的にも「聖」から「俗」への境めになります。キリがないので先に話を進めます。

月明りが暗い月末の夜は人々はいつもより余計にじっとしていたのではないか。その理由には、異界のものもいる可能性があるからだったかもしれません。今の私たちには想像もできないほど、闇にうごめく存在に対する怖れ(畏れ)は強かったのだろう思います。昨年お盆の風習について書いた時にもふれましたが、伝説の牛若丸の造型にそれがよく現れているとお思います。暗い夜、京の街と葬送の地である郊外との境めの五条の橋の上に女化粧をして被り物をしながら、腰には太刀を帯びて笛を吹く美しい童子がいたら、この世の存在とは思えないということになるでしょう。弁慶も高下駄に体中に多くの刃物を帯びた兵僧態の異形で表されますね。ちなみに五条には平家の屋敷があり、牛若丸は偵察に、弁慶は平家の公達の刀を奪うために近くの橋に来ていたということだと思います。私は今の五条の橋を渡るたびに二人の様子を画にして想像するたびにワクワクしてしまいます。言わば、源家の血を引く、鞍馬山の神の御使いと荒法師である、比叡山の仏の御使いのパワーが出会い、時代を変える動きを起こしていくという設定なのでしょう。

こういう逸話は古典好きにはたまりません。後には平家滅亡に大活躍したこの二人もともに東北平泉の地で炎に包まれてしまいます。栄光を極めたものがやがて滅びの時を迎えるという「盛者必衰(じょうしゃひっすい)のことわり」という言葉が平家物語の冒頭に出てきますから、上高生も習ったと思います。その道理を迫力のある美しい調べで表現しているところに「平家物語」が第一級の古典文学たるゆえんがあるのです。

「るろうに剣心」という漫画(テレビアニメや映画で観ましたが)で主人公剣心と大刀をふるう佐之助とが最初に橋上で戦う場面の下敷きになっているのも、牛若丸と弁慶の出会いだとすぐにわかりました。(だいたい昔は日が暮れたら夕飯をとってすぐに寝ていたことでしょう。そして、起きたら朝飯前に一仕事し、ブランチをとってあとは夕方まで時間を過ごす。冷暖房のない粗末な作りの小屋などで暑い夏や寒い冬を暮らすのですから、活動は限られます。夕飯をとった後はまたすぐに寝る。そうしないと、動くとお腹も空きますから。そうでもしないとカロリーの低い粗食の一日二食では生活できなかったでしょう。ただし、起きている必要がある特別な日には夜食をとったはずです。いわゆる「年越しそば」などにその名残がうかがえます。)

さて、そういう考え方でいくと、より大きな時間の境めは年末になります。すなわち、「大晦日(おおみそか)」です。やっと「大晦日」にまで話がたどり着きました。年の改まりには、異界との大きな境界の交通が可能になる。ですから、各家に祖霊(それい)や歳神(としがみ)が降臨してくるというわけでしょう。今でこそ、初詣に大晦日の夜から出かけたりしますが、本来は寝ずに起きていて、家でじっと祖先神が来るのを待っているのが風習でした。

祖先神である歳神は蘇生した強いパワーを持って各家を訪れます。(「初」の付くものごとはめでたい縁起ものとして扱われますね。初夢、初風呂など。)そして、神は家族それぞれに「年魂(としだま)」を授けてくれました。こうして、家族には年齢がひとつ加わるのです。でも、その年魂は目には見えません。ですから、家長が歳神の代理として家族に餅を配りました。これが現在のいわゆる「お年玉」の元のかたちだと言われています。そういう意味でいくと、お年玉はたんなるお金、小遣い銭ではありません。そこには渡す人の祈願がこめられているということがわかります。年改まった新鮮なエネルギーをもらう人が得ることのできるように、渡す人の願いが込められているのです。ちなみに、目上の人に何かを渡す場合は「お年始」とか「お年賀」と言いました。

勉強のためだけでなく、民俗学や古典の知識は今も続く生活風習の意味を教えてくれますから、本当におもしろいですね。思わず長い文章になりました。さて、今年もこのブログを読んでいただいた皆様にお世話になりました。年末年始は寒くなりそうです。どうぞ、良い年をお迎えくださいませ。