47 新年のごあいさつ

新年、明けましておめでとうございます。旧年中は皆様にいろいろとお世話になり、ありがとうございました。本年もよろしくお願い申し上げます。

本校は本日が御用(仕事)始めになります。年末年始、大阪地域は天候的には比較的晴天に恵まれ、暖かな日が多かったように思います。皆様はどのような、年末年始を過ごされたでしょうか。カレンダーの関係で今回の冬期休業は長かったので、徐々に身体と精神を日常モードに慣らしながら戻していくことが必要だと感じています。

年末から年始にかけても、驚くような事件や出来事が多くありました。国際社会の不安定な情勢や、それを反映した経済の先行きの不透明感が継続し、情報化がいちじるしく進歩をするなかで、関係する多くの問題も噴出してきています。平和や人権のことを今一度深く考えなければならない情勢に世の中がなってきているように感じられます。教育現場もその時々の世間の状態に大きく影響を受けます。それと同時に、人を育てるにあたって、いつの時代でも大切なものもあります。それを大切にしながらも、柔軟にその時に必要とされる課題への対応をしっかりとしていきたいと年始にあたって考える次第です。

昨年の12月28日の某新聞朝刊に京都大学名誉教授の佐伯啓思先生が「社会が失う国語力」と題して、長文の意見文を書かれていました。真の「読解力」とは何か、という問題についての論考です。それを読んで、私自身もいろいろと考えるところが多くありました。この年末年始も思うほどたくさんの文章を読めませんでしたが、よく考えられた文章を(そういう文章を書く人はふだんからものごとをよく考えているはずです)時間をかけてよく考えながらじっくりと読むことは、とても大切だと思います。

どちらかというと、パッと読んでパッと理解してパッと意見を述べる力のほうを重視する風潮が強まってきています。もちろん、情報化社会で生活するうえではそういう力も必要です。けれども、ものごとの意味を深くとらえて考える力も大きな課題を乗り越えるためには必要でしょう。たとえば、人生の意味をパッと考えてわかることは難しい。かと言って、大きな課題について考えなくても生きていけるほど世の中は甘くない。苦難を経験した先人の言葉にはやはり重みがあり、我々に大きな示唆を与えてくれます。

今年、公私ともに生徒たちに良いことがきっとたくさんあるはずだと信じています。夏には東京でオリンピックがありますから、大阪にも海外からより多くの人が訪れるでしょう。昨年にも書きましたが、自己を肯定する気持ちを持ちつつも、多様性を認め合うことのできる、正しい国際感覚を身につけた人間になること、そういう人間を育てることが各個人の生活を充実させるはずです。今年も、皆様とともにそういう教育を行なっていければと考えるしだいです。