3年最後の遠足☆母校"今宮"ゆかりの地をめぐろう

 昨日(6日)の午後は学年ごとにさまざまでした。1年は釜ヶ崎支援機構の小林さんを講師に貧困問題についての人権学習、2年はグラウンドでドッジボールとフットサルの球技大会、そして、3年は、おそらく初めての取組みである「母校"今宮"ゆかりの地をめぐろう~28期最後の遠足~」が行われました。6時間め、3,4組から5分間隔で2クラスずつ出発し、ぶらぶらと浪速区めぐり。約1時間ほどのまるで散歩のようなゆるーい遠足は、高校(人生?)最後の遠足らしくてとても素敵です。

 3年間通ったこの地に、どんな歴史や文化があるのか、知っているようで知らないことがたくさんありそうです。そこで、卒業する前に、皆でぶらぶらと歩いて母校"今宮"の地を知ろうと、担任団の先生方が企画されました。受験勉強で疲れが溜まってきた人にとっては、"救い"の気分転換になったかもしれません。ちょっとした素敵な栞も配られました。

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 正門を出て26号線沿いに北へ、大国町の交差点を北西へ渡って200mほど北へ進むと、大国主神社・敷津松之宮に着きます。「東のえべっさん、西の大国さん」と呼ばれるように、大国主神社の方が知られているようですが、敷津松之宮の方が歴史はずっと古く、住吉大社と同じ時代の神功皇后の頃(西暦200年?)に創建されたと言われています。大国主神社は江戸時代に建立された摂社です。南の鳥居から南北に参道があり北側にある立派な社殿が敷津松之宮、26号線に面した東の鳥居から東西に参道があって西にある小さな社が大国主神社。境内の中央で2つの参道が交差するのは珍しいでしょう。

 神社を出て北へ、ライフの角を曲がって西へ、一つめの信号を北へ曲がればすぐ小さな公園が見えてきます。この公園がこの辺りで本校と最も縁深い地と言えるでしょう。地元大阪木津生まれの偉大な国文学者で歌人、民俗学者の折口信夫(おりぐちしのぶ)先生の生誕地で、昭和58年に大阪市制70周年を記念して文学碑も建てられています。

 折口信夫先生は明治44年から大正3年まで、本校(旧制今宮中学)で国語の先生をしていました。その後、國學院大學教授として東京に移られたとのこと。日本の国語教育を創ったとも言える人が、はじめ本校で教えられていたという話は、生徒達は知らないでしょう。

 ところが、ご覧のとおり、折口信夫先生の本を3冊持ってきたという生徒がいました。彼女は折口信夫先生の大ファンだそうです。これは感動です。誰も知らないと思っていました。大変失礼しました。折口信夫先生の大きな写真を校長室に飾っていますので、よければ見に来てください(^^)/

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 公園を出て、さらに北へ信号を2つ3つ行けば、本日の解散場所、難波八坂神社に着きました。

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 参拝してお御籤を引いている生徒もいました。もし、凶が出ても大丈夫。最後まで諦めず合格するまで受験するように、吉が出るまで引き続ければいいのです(お金はかかりますが)(^^)/

 ここはご覧のとおりの立派な獅子頭の舞台があり、映えるポイントとして人気があり外国からの観光客も増えているそうです。

 全クラス解散して戻ってこられた学年主任の梁先生から写真をいただきました。にこやかな生徒達の顔を見て3学年の先生方にとっても、いい時間になったと思います。受験を控えている生徒の皆さん、気持ちを強く持って諦めずに最後まで頑張ってください。有難うございました。