昨日、ビッグアイにて、「遥かなる甲子園」を観劇しました。
あらすじをパンフレットから引くと、
1964年、東京オリンピックの年。 沖縄で風疹が猛威をふるった。その時の妊婦から産まれた子どもの多くが、聴力障害を持っていた。 その子どもたちの為に一過性の「ろう学校高等部」がつくられる。
ろう学校生の一樹は、かつて沖縄代表の応援に駆けつけたとき、そこで『音』を見た。 「ルールに基づいて繰り広げられる戦いに、ろうあ者も健常者もない。」 一樹の想いに賛同して野球好きの仲間が集まり、校長の許可を得て彼らは野球部を作る。
打球音も聞こえず、会話も困難で危険性のある中、彼らは手話をコミュニケーションとして、ただひたすら、高野連に加盟し、そして甲子園出場の夢の為に日々猛特訓を続けていた。
しかし「高校野球憲章第三章」は一樹たちの思いとは裏腹に、ろうあ者を初めから除外する規定になっていた。 甲子園の道は堅く閉ざされた。打ち砕かれそうになる一樹を支えたのは共に頑張ってきた仲間であり母であった。加盟を巡って、様々な思いが交錯する中、マスコミや世論にも押されて野球連盟も重い腰をあげ、加盟を審査するためのテスト試合が行われることになった。
感動したシーンがあります。手話では「努力」は壁を破る動作、「信じる」は心を一つにする動きで表現することを説明する場面があった。言葉で発する「努力」や「信じる」という音声よりも、手話で表現する「努力」や「信じる」を表す動作の方がはるかに力強く、重みのある言葉だと感じました。実際に大きな岩を動かすことができたのですから。