今日は午前中が雨模様のようです。先週の大寒波ほどではないようですが、まだ低温状態が続く予報になっています。ただし、場所により、種類によっては、そろそろ梅が開花しはじめているので、季節は着実に歩みを進めているようです。本校では3年生の高校生活最後の定期考査である学年末考査が始まっています。真摯に取り組んでほしいと思います。
さて、昨日、大阪市住吉区にある「厄払い」で有名な寺に行ったところ、大勢の参拝者でにぎわっていました。今年の「節分」2月3日は平日の木曜日なので、この土日でお参りしておこうという人が多かったようです。近くでは大阪国際女子マラソンも長居陸上競技場で開催されていました。
季節が立つ前日を節分と言います。今年は「立春」が2月4日なので、2月3日が一番最初の節分になります。立夏、立秋、立冬それぞれの前日が節分ですが、立春は年の改まりと同じ重みを持つので、節分というと特に立春の前日を指すようになっています。節分には様々な行事が行われます。関西の都市部でも一般的に行われているのは、豆まきと恵方巻を食べることでしょうか。豆まきは「追儺(ついな)」「鬼やらい」の風習にちなんだ行事です。諸説ありますが、「豆」は邪(よこしま)なものを払うエネルギーを持ち、「まめ」の音は「魔目(まめ)」や「魔滅(まめつ)」に通じると言われています。
近年大いに流行った、鬼を退治するアニメ漫画の主人公の父親が鬼を払う「方相氏(ほうそうし)」の衣装を身につけて舞っている場面をたまたま見て、珍しいなと思いました。方相氏はその異形から後には、「鬼」扱いされたという説もあるようです。
古今東西を問わず、善と悪のドラマを描くには、「悪」役を作ることが必要です。祭り行事においてもしかりで、鬼魔の役目をする人が必要になります。追儺の儀式の鬼役も雇われるパターンもあったでしょうが、ひどい例ではその村を決められた時刻に一番最初に通りがかった人を無理やり「鬼」に仕立てて、さんざんな目にあわせるところもあったようです。反逆者や罪人を「鬼」に見立てて、命を奪うところまでいったという記述を目にしたこともあります。そういう「悪」の役目を割り振られた人々の悲哀の歴史も掘り起こされ、研究されています。
ものごとの切り替えの時は大きな「変化」が起こるので、不安定になる。季節の変わり目である節分も世の秩序が不安定になり、魔的なものが生じやすい。「境界」で事件が起きるというパターンです。安心を求める人心は何とかして不安定な状態を安定な状態にしたいと願います。魔的なものを封じ込めて、安心するというのが節分行事の意味合いでしょう。
しかし、自分の安心を得たいために人間の「命」「気持ち」「信頼」をないがしろにしていいというわけではありません。自分から遠い存在の人であれば、直接かかわることもないので、安心のための犠牲になっても構わない、という発想が多くの苦しみを生み出してきました。そういう自分の心の中にある想念こそ「鬼」や「魔」などと呼ばれるものかもしれません。(日本文学では夏目漱石、外国文学ならばドストエフスキーがこういうことをテーマにした作品を書いて秀逸です。西高生の皆さんもいつかは自分で読んでみてほしいと思います。)邪なものをどうとらえるか、で節分に臨む心構えも変わってくるのだと思います。