朝夕めっきり気温が下がりました。ついこの間までは日中は半袖で十分だったので、余計に寒く感じるのかもしれません。今冬はコロナ感染症とインフルエンザとが合わさって流行する恐れあり、という懸念が専門家から出ていることもあり、急な気温の降下には特に気をつける必要があります。身体の抵抗力が落ちると感染症にかかりやすくなるというのは以前から言われていますから。来週は46期生の修学旅行です。先ほど結団式を終えました。突然に熱帯低気圧が発生して台風になったのでとても心配していたのですが、少なくとも直撃云々という状態にはならない予想になっています。軍艦島等にも行くので天候が安定してくれることを願っています。
さて、今回は西高生の皆さんと「利他」ということについて考えてみましょう。最近の新刊本でも「利他」という言葉をよく目にするようになりました。「利己」が自分に得になるように、ということですから、「利他」は自分以外の人のために役立つように、ということになります。今になって、どうしてこのような言葉に脚光があたるようになってきたのでしょうか。「利己」的で自分勝手な人が増えてきたからでしょうか。私の印象では最近になって急激に日本社会に利己的な人が増えたということはありません。情報科か進んで以前には知られることのなかった利己的な振る舞いが明るみに出るケースが増えたということはあると思います。同時に、利他的な行動も以前から多くあったと思います。ではなぜ、最近になって「利己」が強調されるようになったのでしょうか。
一因には倫理道徳観が変化したからではないでしょうか。最近の道徳の柱は言動において「他の人に迷惑をかけないようにしよう」ということになっている感があります。たしかにこれは大切なことに間違いはありません。しかし、この心がけの延長上には「ややこしい時には他の人にはできるだけ関わらないようにしよう」という気持ちが待ち構えているように思えるのです。「へたに関わって誤解を受けたりしては大変だ」ということです。個人の生き方において他者に迷惑を及ぼさないように生きるにはどうすればよいか、という点に焦点が当たりがちというわけです。しかし、他者との関りを持つということの大切さについて自覚し、考え、社会の一員としてどのようにその形成に関わっていくのかということも同じく重要なことなのに、その点での消極さが意識的に「利他」という言葉を言論の世界に呼び寄せているような気がします。ですが、100%の献身は自己を犠牲にしてしまうことになるので、望ましくないことは言うまでもありません。
本来は利己が同時に利他になるような生き方が望ましいはずです。たいていの場合、ものごとが前に進み始めるのは自分も相手もウイン・ウインの関係になるときでしょう。二人の意見が分かれた時に、「じゃ最初はあなたの言うふうにして、次は私の言う通りにしましょう」ということです。互いが一歩も主張を譲らなければ、解決の向かうのは難しい。折り合えるところを見つけて、双方が前に進めるように知恵を出し合っていく。従来、日本社会はそういう術に長けていた部分もあったと思うのですが、人間関係の希薄化で意識的にそうしていくことが必要になってきています。