21 詩を読むということ②

 今日は昨日までとは打って変わって、雨模様です。九州地方では大雨になっているようです。関東では大きな地震がありました。コロナ対応、熱中症対策に加えて、これからの季節は災害対策にもより注意を払う必要があります。三つはそれぞれが連動させた対策を要します。今日のこの雨もあまりひどくならなければいいと感じています。

 第19回の続きを書きます。功利主義的な見方からすれば、詩に親しんだとしても何の得にもならないかもしれない。しかし、だからと言って、人生にとって意味がないとはかぎらない、ということを述べました。

 具体的な例をあげてみましょう。お金があれば、高い服が買えます。デザイン性や素材の良さは値段に正比例するので、高価な衣服はそれなりにいいものでしょう。ものを買うには自分の予算をふまえるのが大切で、いくらほしいと思っても予算をオーバーするものは買うことができません。お金がたくさんあれば、それだけ買える服の範囲が広くなるので、お金があるに越したことはない。しかし、いくらお金があっても、どれが良い服かを選ぶことはできません。ここで良い服とはデザインや素材の点で自分に合う服ということです。いくら高級な服でも自分に似合わなければ、それは自分にとってのいい服ではない。衣服を選ぶにはセンスが要ります。

 いや、自分にはアドバイスをしてくれる人がいるので、その人の選んだ服を自分は着るから大丈夫だという人もいるでしょう。そのことを否定しようとは思いませんが、衣服は自己像の形成と深く関係していますから、自分の深い内面と呼応したファッションを心がけようと思えば、やはり自分で選ばなければなりません。この料理はあなたの口に合うはずだということで、ずっと他人が選んだメニューで食事をすることはあまり考えられないのと同じです。自分にふさわしい服やメニューを選ぶには洗練されたセンスが必要です。このセンスはお金で買うことはできない。自分で意識して楽しみながら磨かなければ身につかないのです。すぐれたセンスは衣食に関して内面の充実感をもたらすものでしょう。

 詩もそうなのです。詩集自体は高いものではありません。中原中也詩集の文庫本で高いものでも千円前後で買えるでしょう。でも、詩を味わうセンスはお金では買えません。美しく言葉で表現された世の中の出来事や風景や人間感情の動きを共感して味わう力は我々の内面を豊かにしてくれます。なぜなら、我々の人生の意味合いや実感の多くがそういうところから生まれるからです。他者の喜びや悲しみを自分のことのように感じて、一緒に生きているのが我々の感情生活です。

 本居宣長という近世の学者は感情が生み出す豊かな意味合いを「もののあはれ」と呼び、それを味わい知ることの大切さを説きました。前回少しふれた孔子もそうで、人間が他者と一緒に生きていくうえではルールや作法ばかりではなく、その中身にあたる情緒面の充実が必要だと言ったのです。(孔子は合わせて音楽修行の重要さも説いています。)我々の生活と切り離せない言葉というものを通して、人の世の様々な物事を深く味わうセンスが、その人生を豊かで充実したものにするのは言うまでもありません。国語の時間に詩歌を学習する根幹にはこういう考え方が反映していたはずですが、残念ながら、後退してしまっている感じです。

 生徒が国語の授業で詩のすばらしさに開眼できる、というのが理想的です。そうでない場合でも、何とかして「詩」の良さに目覚めて、できればお気に入りの詩人や詩作品に出会ってほしいと思っています。

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