今日も昨日につづいて、いい天気です。ただし、明日からは梅雨空が戻るという予想になっています。梅雨が明けるまではまだ半月以上かかるのでしょうか。前にも書きましたが、梅雨時期の大量の雨が日本の米作を支えています。勤め人や学生にとってはうっとうしいかもしれませんが(かく言う私もそうです)、四季のそれぞれの気候は自然のバランスをもたらし、そのバランスの結果の恩恵を我々が受けとっています。(最近は、気候温暖化などの影響でしょうか、バランスが崩れて、大きな災害につながることが多くなってきたような気がします。雨の降り方も私たちの幼かったころとは相当違ってきていると感じます。)
「雨の日こそ、晴れ晴れとした顔を見たいものだ」とアランが「幸福論」で言っています。人の気分は天候の影響を受けやすいので、悪天の時にはどうしても気分が落ち込みやすい。今回は西高生にアランの考え方を紹介してみましょう。
アラン幸福哲学の根本は「人が幸福になるには意志の力が必要である」というものです。気分任せでは、たいてい悲観的な考えにとりつかれやすい。だから、物事をしっかりと認識して、意志の力で自分の気分を支えることが大切になる。アランの「幸福論」を幸福になるためのハウツー書のように扱う傾向が一時ありました。その本を読んで幸せになれる魔法のような本があるなら、すごいでしょうが、残念ながらありません。アランの本もあくまでも考え方を示してくれるものです。でも、その示された考え方が的を得てすばらしいということなのです。
しっかりとした認識にもとづいて合理的に考えて、意志の力を発揮しても乗り越えられない不幸というものもあるでしょう。しかし、いつまでもそこに沈み込むのではなく、立ち上がってできるだけ自分の人生を幸せなものにしようとする時にも、正しいものの見方と意志の力が必要になる、ということです。そして、自分の気分を整えることは、自分に関わる人に対する義務である、ということも言っています。
人間関係の秩序のなかでは、気分や表情の交換がさかんに行われるので、お互いが自分を修めて、感情をコントロールすることが非常に有効なのです。八つ当たりされた者は気分を害して、他の人に感情をぶつけやすくなってしまい、不幸の連鎖がおきる。逆に、親愛を込めた微笑は幸せの連鎖をもたらしてくれる。そこで、「雨の日こそ、晴れ晴れとした顔が見たい」という言葉につながるわけです。
実はアランの他の著作はたいてい非常に難しい文章で書かれています。哲学者について書かれた文章など、こちらの思考と読みとりの力の限界もあって、理解がおぼつかないものもあります。しかし、その確固としたヒューマニズムにもとづく、アランその人の人間性と一体となった思想はとてもすばらしいと思います。フランスの高等教育の哲学教師であったので、教育についての文章もたくさん書いています。私も「教育論」からは大きな影響を受けました。
「幸福論」は著作のなかでは、翻訳でも例外的にわかりやすく、個々の文章も新聞のコラム欄くらいの長さです。興味を持った人は読んでみてください。文庫でも数冊出ていますが、高校生には集英社文庫の白井健三郎訳のものがいいと思います。