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42 3年生2学期授業3日目 ~「教養」と高校の学習~

 夏休み明けの3年生の授業が始まって今日で3日目です。今週の金曜日からは1、2年生の授業も始まります。報道で大阪での感染症重症患者数の多さが連日話題になっています。小手先の対処方法で何とかなる流行り病ではないということは、わかっているのですが、不安になると特効薬的な解決や対策を求めてしまうのが人間の心理というものでしょう。不安が強い分だけ、はしごを外されたときの失望や怒りも大きくなるので、それに乗じたマスコミの煽りなども過剰になりがちです。こういう状況下でも大切なのは、基本的な対策を個人レベルでもしっかりとしようという呼びかけのはずなのですが、それでは人目をひくニュースにはなりにくいので、どうしても余計に不安になったりするような話題を意図的にとりあげがちのようです。情報を見分ける力がより大切になってきていると感じます。

 哲学者に鷲田清一という方がいます。日本には哲学の研究者は多くいても、本当の哲学者は少ないとよく言われますが、鷲田さんはその少ないうちの一人です。その鷲田さんの『大事なものは見えにくい』(角川文庫)のなかに「身を養うということ」という文章が収められています。文中で教養を端的に定義しているところがあります。「「教養」とは、一言でいえば、何がほんとうに大事で、何が場合によってはなくしてもいいものかを見分ける力のことである。」つまり、ものごとの価値判断の力を持つことだというのです。どうすれば、そういう力が身につくか。他人から与えられた基準に頼っていてはダメなようです。何かよくわからないけれど、とにかく凄い感じがするものと能率的に筋が通っているけれど、なんだかうさんくさいものとを嗅ぎ分ける感覚をまず養うことが必要である。この人、このものは「本物だ」とわかるようになるということです。それは知識ではなくてまさしく直感でしょう。その直感は自分の関心の有無にかかわらず、いろいろな考え方や表現にふれることが大切だと鷲田さんは述べています。「自分の興味とは異なる補助線」を立てることで、把握できる世界を広げておくということでしょう。

 自分に興味関心のあることにしか親しまない、もしくは損得勘定で得になることにしか取り組まない、という姿勢とは違う姿勢を教養の習得は求めるということです。「とにかく一度~してみる」という、自分の面倒くさがりを合理的な思考でごまかしてしまう人間からは「無駄だ」と思われる姿勢が真の教養を育む。自分がその料理を美味いと思うか不味いと思うかは自分で実際に食べてみないとわからない。「誘いがあるから、食べたことがないけれど、何々料理を食べてみよう」「展覧会をしているので一度本物のルーベンスの絵を見に行ってみよう」「生誕250年らしいのでベートーヴェンの交響曲を最初から最後まで聴いてみよう」という冒険的な態度が最終的には人間性の幅を広げるのは当然です。

 高校での学習内容はどの教科も専門性が入ってきて難しいのですが、鷲田さんの言うような「教養」習得の視点からは、真剣に取り組む価値があるということになります。鷲田さんのいう「世界を受けとめるキャッチャー・ミット」を大きくするためには、高校時代の勉強はとても大切だと私は思います。近代の学校制度の草創期にはあったはずの「教養」理念は常に振り返られるべきでしょう。

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