51 文化祭準備

 秋雨前線の活発化に伴い、ぐずついた天気がしばらく続きそうです。おかげで暑さはやわらいだのですが、今週末に控えた文化祭当日の天候が気がかりです。門に飾るアーチを作っているのでしょうか、校長室の前からも準備にいそしむ生徒たちの様子がうかがえる音が響いてきます。

 さて昨日、通勤の電車内で新潮文庫新刊の小林秀雄の本を読んでいたら、次のような文章に出会い、ちょっと感慨を覚えました。「今日小説の愛読は人々の第二の天性と化している。人々は、ただわけもなく小説を読んで暇をつぶす。」(「文学は絵空ごとか」)。この時評文が書かれたのは昭和5年、1930年ですから、90年前です。昭和初期の頃には携帯電話はないのはもちろん、まだテレビもありません。「第二の天性」と言われるほど、人々が小説を読んでいたということです。もし小林が現在の状況を見れば「今日スマホの閲覧は人々の第二の天性と化している。人々は、ただわけもなくスマホを見て暇をつぶす。」と言うでしょうか。

 授業中に小説を読んでいて教師に叱られた、とか「おまえは小説ばかり読んで、だめではないか」と親から文句を言われた、とかいう「伝説」のような話もよく聞きます。時代によって、その「小説」のところが「漫画」になったり、「テレビ」になったりしてきた経緯があります。私自身の思春期の場合、自分の勉強しなければという気持ちの最大の「強敵」は「テレビ」でした。

個人的なノスタルジックな思いがそう感じさせるだけかもしれませんが、私の子ども時代のテレビはとても面白いものが多かったのです。人気番組の視聴率が40パーセントを超えるような感じで、ドラマもバラエティも、そして音楽番組やアニメ番組、スポーツ中継もワクワクさせるようなものでいっぱいでした。新聞の番組欄を見てしまうと、気をひかれるものばかりで、その誘惑に抗するのは至難の業です。

 録画もありませんでしたから、そのオンエアの時間に見るしかありません。自分は野球中継を観たいけれど、兄弟姉妹はアイドルが出る音楽番組が観たいなど、一定の年齢層では家族で「チャンネルの取り合い」をした記憶がある人も多いでしょう。現在よく言われるように、同じ居間にいても家族がそれぞれ自分の携帯画面に見入っている、というような状態とは大違いです。(スマホが家族団らんを破壊したと言う人がいますが、それでは同じテレビ番組を黙って観ているのが団らんか、いや、テレビなどが普及する前はどうだったのか、各自が自分のしたいことをするのは今と同じだったのではないか、というふうにきちんと考察する必要があります。)

 生活に便利さや楽しみをもたらすのは技術進歩の一つでしょうから、そのいちいちに目くじらを立てるのは間違いです。科学や技術がいくら進んでも、我々の精神のあり方はあまり変わらないことに思いを至らせて、法律に反したり、反社会的であったりするものを除いては、その時々の流行するものとうまくつきあっていくのが賢明というのでしょう。要は「~しすぎ」という状態にならないように、自分でも注意できるようになるという昔ながらの心がけが大切になります。

 情報媒体の刺激やリアルさが増していく状況の中で、子どもたちが生きていくうえで、依存や中毒状態にならないように、環境を整えて、心身を発達させるのが教育の役割の一つです。社会性の育みを強調する新教育の流れのなかでも重要な点になると考えています。

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