28 論理的な思考の目的

 「論理的」に考えることの大切さは常に言われ続けてきました。私は高校生の段階ではより強くそのことを意識する必要があると考えています。西高生のみなさんにもわかってほしいと思います。

 教育の分野でも「論理的思考」の大切さを説いている文章には枚挙にいとまがありません。では、正面切って「論理的」とはどういうことですか、と尋ねられて答えられる人はどれほどいるでしょうか。「論理にもとづいている」「数学的ということだ」というような答えではなく、です。たしかに「論理」とは何か、という問いを追究すると様々な定義が生じるので難しいのです。けれども、用途(使う目的)という側面からの問い(なぜ論理的に考えることが大切なのか)に変えてみると、一定の答えはでるのではないかと思います。

 一つは、筋道を立て、整理しながら自分の考えをまとめるため、ということです。ともすれば、我々が思い浮かべる内容はまとまりのない「雑念」になりがちです。次から次へと違うものが浮かんできたりします。これでは、何かものごとを決めたりしなければならないようなときに、なかなか結論には至りません。

 言葉で考えるにしても「雨が降って、傘が売れた」と「雨が降って、日が暮れた」という二つの文は同じようなかたちをしていますが、「、」の前後の関係が異なります。前の文は原因と結果の関係ですが、後の文には因果関係はありません。ある程度、ものごとの関係をふまえながら筋道を立てて考えるということを意識しないと、考えがあいまいになってしまいます。「AはBだ」からといって「BはAだ」とはかぎりません。「牛はほ乳類だ」とは言えますが、「ほ乳類は牛だ」とは言えません。しかし、日常生活では意識しないとこういう判断でも混乱してまちがっていることがあるものです。

 いま一つは、相手がいるということを意識してわかりやすく伝えるため、ということです。違う人間同士で理解しあうためには「理(=考えの筋道)」を「解」りあうことが必要になります。共通する「理」があるから、それに沿って考えることで、互いの考えが伝わるのです。最近使われる言葉で言えば「ロジカルコミュニケーション」です。いくら深遠な思考を展開したとしても、それを自分以外の人に理解してもらえないとすれば、コミュニケーションは成り立ちません。3歳の子どもに「なんで子どもは学校に行かんとあかんの?」と訊かれて、大人が使う教育用語で説明する人はまずいません。相手の理解力をふまえたうえで、必要な情報を整理してわかりやすく伝えることを心がけなければならないのです。大人の会議などでは情報内容のメリットとデメリットまで示して、より説得力を持たせることも大切になったりします。

 たしかに経験知に基づく「勘」でパッと考えたところを「以心伝心」で直感的に理解しあうことも多いのですが、それは同じ文化環境のなかで過ごしている者同士に限られる意思疎通でしょう。互いに異文化のなかで生きてきた者同士が理解しあうためには、まず自分の考えを筋道に沿ってまとめて、それを相手に整理してわかりやすく伝えることが必要です。

 芥川龍之介の「羅生門」では蛇を魚といつわって売っていた女性の行為がとてもモラルにもとるとされていますが、蛇を日常的に食用にしている文化圏の人にはそれほど悪いことだとは受けとられないでしょう。昆虫を常食としない者が虫料理のおいしさをにわかには理解できないのに、えんえんとセミとバッタのおいしさの違いを話題にされて、直感的に理解しろと言われても困ると思います。

 用途からみた場合に、短期間に様々な文化背景を持った人とコミュニケートし、意思疎通を図る必要が高まるこれからの社会生活において、論理的に考える力はますます必要になることはまちがいありません。これからの学校教育ではその力の育成により重点を置こうということなのです。

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