本日9時半より1学期の終業式を行いました。今回も最近の感染症拡大状況をふまえて、オンラインによって開催しました。校長講話のあと、伝達表彰、保健福祉部長連絡、生徒指導部長連絡という内容です。
私からは感染症と熱中症、災害への対策をしっかりとしながら、この夏季休業中も自分の課題への挑戦をするようにとエールを送りました。3年生、1・2年生のそれぞれの主要な課題目標にふれ、部活をしている生徒には大いに活躍してほしいと伝えました。
講話のなかで、最近観た「犬王」というアニメ映画に少しだけふれました。歴史上の人物でも珍しい主人公を取り上げた作品なのでここでも少し紹介しておきます。
一部のファン以外にはあまり知られていないようですが、映画は私にはとても面白かったです。私は能楽の世阿弥(ぜあみ)が好きで「風姿花伝(ふうしかでん)」に記されていることには非常に教えられるところが多いと思っています。その世阿弥には最大のライバルがいて道阿弥(どうあみ)と言います。犬王(いぬおう)というのは道阿弥の幼少名です。映画では身体的特徴によって生まれた時からしいたげられ、差別された犬王がやがて将軍足利義満のお気に入りになるまでを描いていました。友人の琵琶法師も不遇な人生を実力で切り開いていきます。結末は悲劇的でしたが、美しいアニメーションと音楽、室町時代という珍しい時代背景、異界と現実の交感、差別と権力の問題など、見所が多かったと思います。原作は小説のようですが、それは読んでいません。世阿弥について調べているときに、たまたま道阿弥を主人公にしたアニメを上映しているのを知り、観た次第です。
映画では近江日吉猿楽座(おうみひえさるがくざ)の道阿弥のほうがダイナミックな「能」で大和結崎申楽座(やまとゆうざきさるがくざ)の若い世阿弥のほうが優雅な「能」を演じたように設定されていました。実際には世阿弥の一座は鬼物を得意としていたようですから、逆だった可能性が高いでしょう(ちなみに世阿弥の幼少名は「鬼夜叉(おにやしゃ)」です。のちに二条良基から「藤若(ふじわか)」という名ももらっています。)世阿弥のすごいところは多くの能楽の名作を作ったこともさることながら、演劇論を残したところです。あのシェイクスピアも演劇論は残していません。当時の「能」は現在で言えば漫才グランプリのように貴賓たちのまえで勝負を競うものでした。「能」の「立ち合い」で「花」を演出して、いかに勝つか。世阿弥の天才はやがてダイナミックさと優雅さを融合させた境地を切り開いていきました。世阿弥の演劇論はその戦略を秘伝として跡継ぎに託したものでした。
その世阿弥以上に義満に愛されたという道阿弥に焦点をあてたサブカルチャー作品が登場したことをうれしく思いました。道阿弥は自らの能楽作品も演劇論も残していません。