36 歴史の授業観察から思ったこと

 現在、すべての教員の授業を見ています。私が若いころは、実技系をのぞく高校のほとんどの授業は教師が生徒に対して説明するタイプのものでした。近年、授業スタイルの見直しが進んで、生徒が主体的になる場面、何らかの対話協議を行う場面が増えてきています。本校でもICTを活用しながら、そういう場面をとりいれたタイプの授業が増えました。ただし、そういうタイプの授業ばかりになるのも考えものです。教員は必要に応じて、丁寧に説明解説を中心に授業を組み立てることもできなければなりません。

 福沢諭吉は何でも「一辺倒(いっぺんとう)」はよくない、と言いました。ある特定のものを全面的に肯定して、そればかりにかまけることの危うさを説いたのです。授業のスタイルでもそうで、生徒の状態、扱う教材の性質などに応じて、柔軟に内容を組み立てることが大切です。古典文法の初歩段階の学習はグループで学ぶよりも、説明をきいたうえで徹底的に暗記したほうが効率的でしょう。しかし、小説などの内容理解で登場人物の内面のドラマについて考えるところでは、グループで意見を交換したほうが勉強になります。

 さて、先日、歴史の授業をいくつか見ていて思ったことがあります(ちなみに個性的で面白い授業が多かったです)。若い頃は現在の生き方が中心になるうえに、今は社会全体が強い未来志向ですから、無理はないのですが、生徒たちは歴史の知識が頭の中に点在している感じです。つまり、個々の知識がお互いにつながったかたちで記憶されていないのです。「歴史の因果」という言葉があります。ものごとには原因と結果があり、それがずっと連鎖していっているということです。この連鎖の軸を一度しっかりととらえると歴史はより面白くなると思います。教員もそれを意識して授業しているのですが、この軸は自分の興味にのっとって作ることが大切なのです。

 例としてあまり知られていない「因果」の話をしてみましょう。この前の大河ドラマでは実朝暗殺がとりあげられていました。その時に源仲章という人物も公卿(こうぎょう)に殺されていました。このことで北条氏は幕府内での権力を一挙に強めて、とうとう「承久の乱」という朝廷との争いにも勝つことになるのです。時代が下って、長年つづいた北条氏の鎌倉幕府も後醍醐天皇や足利尊氏らによって滅ぼされるのですが、その後醍醐天皇には源仲章の血が流れています。鎌倉の権力闘争の途次で殺された仲章の子孫にあたる人物が鎌倉幕府を滅亡に追い込むに至るのです。それに、承久の乱に敗れて隠岐に配流された後鳥羽上皇と同じく、隠岐に流された後醍醐天皇が今度は島を脱出して建武の新政を行うまでに至るのです。詳しく知ると歴史はそういう「因果」に満ちています。

 これからの社会ではますます未来志向が強まっていきそうですが、過去の歴史を大切にしない文化が栄え続けることは難しいと思います。我々の精神には先人の教えに学ばないと人間的に成長できない部分があるからです。西高生のみなさんも「つながり」を意識して歴史にふれてみてください。

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