高校テニスの聖地に関する記事が、日本経済新聞電子版に掲載されました。記事によると、高校テニスの聖地は浜寺公園だと言います。意外と身近な場所だったので、驚きました。高校野球の聖地が甲子園、高校ラグビーの聖地が花園と言われるのと同じように、かつて浜寺公園が高校テニスの聖地だったことを知る人は少ないと思います。
そのことを示す碑が、今も浜寺公園の中にあります。浜寺公園は、堺市と高石市にまたがる大きな公園ですが、地元の人でもこの碑のことを知っている人は少ないのが現状です。増してや、この碑の建立に奔走し、熱き想いを持って、卒寿を前にした今もテニスに情熱を傾けている人がいることなど、知る由もないと思います。その人こそ、校長ブログでも何度かご紹介したことのある、本校卒業生の戸堂博之氏(高7回)です。今回の日経新聞の記事も、戸堂氏への取材などをもとに構成されています。
碑が建立されるきっかけは、本校創立80周年を契機に編纂された「三丘スポーツ史」という書籍だったようです。当時、保健体育科の教諭であった村田 弘 氏の呼びかけで各部が自分たちの歴史を調べ始めたとき、硬式テニス部史を掘り起こしたのは、前出の戸堂氏と市川 忠則 氏(高8回)、松浦 紀 氏(高11回)の3人でした。3人が歴史を辿る中で、高校テニス発祥の地が浜寺公園であることを知ったそうです。年を経て、高石市庭球協会40周年記念事業として建立されたのが、下の写真です。

もうひとつ、浜寺公園の碑と三国丘高校を結びつける逸話があります。実は、本校にもテニスにまつわる碑があります。それが、下の写真です。こちらの碑は、第100回全国高校テニス選手権大会記念碑として、三国丘高校の前身にあたる堺中学校10期生の2人が第1回大会に出場したことを記しています。碑には、第1回大会の会場が、浜寺公園であったことも刻まれています。この碑より浜寺公園の碑の方が後に作られているのですが、これらは同じ作者による作品だそうです。そう言えば、どこか斬新なデザインが似ているような気がしてきました。

話を元に戻して、日本経済新聞電子版の記事ですが、その内容を私なりに要約してご紹介したいと思います。まず、高校(当時は中等学校)テニスの発祥は明治41年に遡るそうです。この年の7月に、浜寺公園にあったテニスコートで第1回の中等学校テニス大会が開催されたという記録が、毎日新聞の社史に残っていると言います。先ほどご紹介した、三国丘高校にあるテニスの碑からも同じことがわかります。
それにしても、なぜ浜寺公園だったのか?と疑問が残りますが、海水浴場と関係があるようです。当時、白砂青松の美しい砂浜があり海水浴客で賑わう浜寺公園で、海水浴客の余興として始まったのがテニスだったそうです。西洋のスポーツが、こんな形で行われていたことにびっくりしました。
その後、テニスがスポーツとして発展するきっかけを作ってくれたのは、南海鉄道(現在の南海電気鉄道)が建設した巨大なテニスコートでした。5,000人の観客を収容できる鉄骨の大スタンドを持つテニスコートは、当時、東洋第一と言われた立派なものだったそうです。後に、会場を、中百舌鳥総合運動場に移した高校テニスの全国大会は、戦争による中断を経て1946年に再開したそうです。
三国丘高校の硬式テニス部は輝かしい実績を誇るクラブですが、それだけではなく、卒業生が、郷土の歴史や文化に貢献していることを誇りに思います。みなさんも、浜寺公園に行く機会があれば、北テニスコートの前にある記念碑を訪ねてみてください。