「高校テニスの聖地は堺?海水浴余興で明治期に大会、戦後の混乱で幕」というタイトルの記事が、日本経済新聞電子版に掲載されました。高校野球の聖地が甲子園、高校ラグビーの聖地が花園と言われるのと同じように、かつて浜寺公園が高校テニスの聖地だったことを知る人は少ないと思います。
そのことを示す碑が、今も浜寺公園の中にあります。浜寺公園は、堺市と高石市にまたがる大きな公園ですが、地元の人でもこの碑のことを知っている人は極めて少ないと思います。増してや、この碑の建立に奔走し、熱き想いを持って、卒寿を前にした今もテニスに情熱を傾けている人がいることなど、知る由もないと思います。その人こそ、校長ブログでも何度かご紹介したことのある、本校卒業生の戸堂博之氏(高7回)です。今回の日経新聞の記事も、戸堂氏への取材などをもとに構成されています。
記事ですので文字の部分は使わずに、写真の一部だけ切り取ったものを掲載させてもらっています。記事の内容を私なりに要約してご紹介すると、高校(当時は中等学校)テニスの発祥は明治41年に遡るそうです。この年の7月に、浜寺公園にあったテニスコートで第1回の中等学校テニス大会が開催されたという記録が、毎日新聞の社史に残っていると言います。それにしても、なぜ浜寺公園だったのか?と疑問が残りますが、海水浴場と関係があるようです。当時、白砂青松の美しい砂浜があり海水浴客で賑わう浜寺公園で、海水浴客の余興として始まったのがテニスだったそうです。西洋のスポーツが、こんな形で行われていたことにびっくりしました。
その後、テニスがスポーツとして発展するきっかけを作ってくれたのは、南海鉄道(現在の南海電気鉄道)が建設した巨大なテニスコートでした。5,000人の観客を収容できる鉄骨の大スタンドを持つテニスコートは、当時、東洋第一と言われた立派なものだったそうです。
後に、会場を、中百舌鳥総合運動場に移した高校テニスの全国大会は、戦争による中断を経て1946年に再開したそうです。

三国丘高校の硬式テニス部は輝かしい実績を誇るクラブですが、それだけではなく、卒業生が、郷土の歴史や文化に貢献していることを誇りに思います。みなさんも、浜寺公園に行く機会があれば、テニスコートの横にある記念碑を訪ねてみてください。