5 読書について考える③

今日は3年生の登校日でした。報道等にもあるように、3年生の来週の登校日の扱いについては、変更の可能性が出てきています。正式な指示通知はまだですが、本校でも即応すべく話し合いを行っています。6月以降のことについても、いろいろと検討や準備を進めているところです。はっきりと決まり次第に、HP等で連絡します。

さて、前回は文学(小説)を読むことについて書きました。文学については、若い世代にはぜひとも詩歌文学にも親しんでほしいと感じています。小説も詩も言葉を素材とする芸術ですが、その言葉の扱い自体がまったく違います。孔子も人間として大切な学びの一つに、詩文学に親しむことをあげています。詩を修めることが、内面の陶冶を図ることになることを説いているのです。読んでみて、自分の感性に響く詩人の詩集を読む。私の経験では、一度目はあまりピンとこなかった詩人の作品が二度目の時には非常に感動できることもあります。しかし、今回は詩ではなく小説と同じ散文の評論文について書くことにします。

我々は「知る」ということを簡単にとらえがちです。犬と猫の写真を用意して、「どちらが犬でしょう」と問いかける。それで犬のほうの写真を指さすことができれば、その人は犬を知っているということになる。その犬が何という種類で、どういう特徴を持っているかについて述べることができれば、よりくわしく知っているというわけです。

では、その犬がどの程度まで飼い主のことを認識しているのか、という問いについてはどうでしょうか。それを知ろうとすれば、そもそも犬が人間をどう認識しているかを知ることが必要です。日常生活では、そういうレベルの知識を要求されることがない。あるいは、犬を食用とする文化についてどう考えるかという問いに意見を述べなければならない、というような場合はどうでしょうか(現在世界中で食用にされている犬は2000万頭ほどだというデータがあります。私も含めて現代の日本人の多くは嫌悪感を持つかもしれませんが、昔は日本でも犬を食用にする風習を持つ地域がありました。鯨の食文化を持つ日本が批判されることも無関係ではありません。食文化をめぐる問題はデリケートです。ただし、病気を媒介するような食性は他者に迷惑をかけるので、やめるべきだと思います。)。この問いにきちんと答えようと思えば、様々なことをふまえて、考えを練る必要があります。「知る」といっても、深くてくわしい知識や、正解がないような問いかけに関しては、なかなか簡単にはとらえられません。

評論などのタイプの文章は、日常の用事を済ませる程度の生活レベルを超えた知識やにわかには答えを導くことが難しい課題をテーマとして書かれているものです。実は、知識は深くて詳しいほうが対象の個性がはっきりするのでおもしろいのです。また、生きていくうえでは、正解のない問いかけに出会うことがしょっちゅうです。その時にどういうふうに情報を集めて、とらえて、整理して、考えればよいのかを評論は示してくれています。ネットにも様々な情報があがっていますが、思考や把握の「深み」という点ではほとんどがものたりません。

質のよい評論文を考えながら読めば、認識して理解する世界が深く広くなり、人生が豊かになる。まずは自分の興味のある分野、アニメが好きならばアニメ文化を論じたもの(ジブリが好きならば切通理作の宮崎駿論など)、料理文化を取り上げたもの(辰巳芳子の著書は料理を語って見事な哲学になっていると思います)、JPOPをよく聴くのであればそれについて論じたもの(竹田青嗣のものなどをはじめとして、多くの評論が書かれています)を読んでみてはどうでしょうか。教壇に立っているときからそうでしたが、入試によく出て、実用的だから、という理由だけでは自分から読む気にならない多くの人たちにも何とか読んでほしいと考えています。

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