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7 2年生の登校日 ~村上春樹をめぐる言葉の問題など~

今週は3年生には授業日が設定されますが、基本的にまだ登校日が続きます。今日は2年生が登校する日でした。登校日の間に、2年生の教員団は自分たちの自己紹介動画を作成して、生徒たちに見せています。前回登校日に各教室で流していた担任による自己紹介ビデオを見て、構成や効果も考えて作られているのに感心しました。それに、スマートでなめらかに話すことができている点にも感心したしだいです。

副担任編も作るので、校長もどうぞ参加をということで、私も収録しましたが、とても若い教員のようにはいきません。人相手ではなく、機器相手にしゃべることに慣れていないので、冷や汗ものです。何十年にもわたって、生身の人間相手に話をしてきたので、聞き手の反応をたしかめながら、しゃべっていく癖があるからだと思います。聞き手の直接の反応がない状態でも、上手に話をする人たちは、たぶん機器の向こう側に聞き手がいるということをきちんと想定して、心理的にも落ち着いているのだと思います。

どのような行為でもそうですが、意識しすぎてしまうと動作がぎこちなくなります。話すこともそうで、何らかの理由で話す言葉を強く意識しなければならない場面では、なめらかにしゃべることが難しくなります。そのことに関わって文学の話をします。村上春樹の初期の作品群には、そういう点で言葉に関するつまずきを抱えた登場人物が出てきます。デビュー作の主人公がそうですし、あの「ノルウィの森」に出てくる直子もそうです。若いころの村上春樹はポップなサブカルチャーの旗手の一人にまつりあげられて、社会派の批評家たちなどから批判を浴びたのですが(そのせいもあって彼は日本をしばらく離れなければなりませんでした)、現代の視点でみると、問題となる文明文化の持つ課題への透徹したまなざしが感じられて、軽佻浮薄の評は的外れの誤解だったことがわかります。彼がふつうでは感受の難しい社会の問題と直接に渡り合う作風に変化していくのは「ねじまき鳥クロニクル」以降ですが、合理的な明るさの追求のかげで人間の内面に深い影をおとすものを筆先でとらえていたのは、初期のころからだったのです。本人は嫌がっているようですが(教科書に収録されるとなると作品の一部分に変更を加えなければならなくなったりするからです)、村上春樹作品はもっと高校の国語の教科書に載せるべきだと考えています。多くの他言語に翻訳されて、世界50ヶ国近くで人気の著者として認められている、という点からもそうでしょう。国際化にあっては、他国にもよく知られている自国を代表する文化について知見を持つことは非常に大切です。

以前からそうですが、最近特に匿名による誹謗中傷が大きく問題視されています。言葉によるコミュニケーションの多様性と、現代ならでは諸問題をきっちりと見極めたうえで、どのようにして社会的な調和を人間同士の意思疎通により図っていくのか。これからの学校教育の大きな課題の一つです。

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