• トップ
  • 2020年
  • 8月
  • 45 緑道や校内でも秋虫の声がよく聞こえるようになりました

45 緑道や校内でも秋虫の声がよく聞こえるようになりました

 今朝、栂・美木多の駅から本校まで歩いていると、セミの声よりも秋虫の声のほうがよく聞こえるようになっていることに気づきました。おそらく、秋虫はもっと早くに鳴いていたのでしょうが、セミの声にかき消されて聞こえていなかったのでしょう。セミはツクツクホウシやニイニイゼミはこれからですが、クマゼミやアブラゼミはすっかりと少なくなりました。チリチリ、コロコロ、チッチ、リリリなどという声を耳にすると、季節の推移を我々は感じるのですが、現実は朝晩ともにまだまだ厳しい暑さが続くようです。

 さて、西高生のみなさんは情報と感性の関係について意識したことがあるでしょうか。小学生対象の将来に就きたい職業のランキングにも反映しているように、今般の何ごとも耳目を驚かし、気を引くことのできることが有能の証であることが浸透している状態です。刺激というものは慣れによってその度合いが低減していきます。注目される存在であることを継続しつづけるためには、刺激の度合いを常にアップし続けなければなりません。現実の変化は緩慢ですから、刺激度合いの意図的なアップはやがて現実離れしていく。

 誇大広告、過大宣伝が問題視されますが、それを誘発する要素が情報消費社会では満載ということになります。「誰でも~になれる!」「史上最強の~がここにある」というようなキャッチフレーズ自体が誇大広告と言えるかもしれません。よく考えれば非現実的なのだけれども、自分でコンプレックスや弱みだと思っている部分では、そういう言葉は強い誘いの魔力を発揮して迫ってきます。

 刺激と大げささに満ちた言葉の洪水にさらされ続けると、言葉に対する感性が鈍くなるのは当然です。ネットニュースで興味のある分野の記事を読んでみると、題名からかけ離れていて、しかも内容の空疎なことにあきれてしまう。言語感性の鋭敏な者は、自分の感度を鈍くなるように調整しないと、適応できなくなる。村上春樹の初期作品の登場人物たちが言語使用の点でひどいつまずきをしてしまうのは、象徴的と言えるでしょう。本来は優れた資質たりうるピュアな感性が、鈍化しえず、自分をごまかすことのできないゆえに、社会的な適応を難しくしてしまう。

 教育界でもコミュニケーション能力の育成が言われますが、それが感性の鈍化や個性の平準化の推奨にならないようにしなければなりません。相手の立場を理解し、相手の気持ちをある程度慮ることができるか、その時その場を共有しようという姿勢があるかどうか。京都大学の石井先生のおっしゃるように、うまく喋ることができるかどうかは評価しやすいですが、人格と結びついた内面でとられる心の姿勢は評価の対象にふさわしくありません。しかし、それこそがコミュニケーションの要であることをふまえたうえでの、教育活動、社会活動にしていくことが大切だと感じています。

カレンダー

2023年3月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

年別一覧