46 難しい「判断」をするということ

 昨日の朝日新聞朝刊教育面に掲載されていた西村秀一氏(国立病院機構仙台医療センター・ウイルスセンター長)のインタビュー記事を読んで、いろいろと考えさせられました。現在の学校における「感染対策」について、いわゆる「そもそも論」からそのあり方を問い直す内容です。我々は感染症医学の専門家ではないので、そういう方たちからの意見やアドバイスにそって、様々な行動様式を適切なものにしようと努力しているのですが、その専門家間の意見が大きく違う場合は、考えてしまいますね。ひと頃はマスクをめぐってもコロナ感染症に対して有効か有効でないか、マスメディア等に登場する専門家の意見が分かれていたことがありました。(現在はマスクの有効性を否定する意見は見かけませんけれども。)

 令和4年度から高等学校でも全面実施になる新学習指導要領でも「思考力、判断力、表現力」の育成は大きな柱として掲げられていますが、今回は上に書いたようなこともあり、「判断力」の「判断」行為について書いてみます。実際、現実生活では答えの決まっている課題はほとんどないので、そのつど、難しい「判断」をしていく必要があります。西高生のみんなも考えてみてください。

 不安や危機感を覚えた時には、我々の判断力は鈍ります。その結果、他者に求める情報や意見、指示なども白黒はっきりしたものを求めがちです。「~は是か非か」「~は敵か味方か」という見方に対する結論を求めるのですが、その時に頼りにするのは関係する方面の「権威」「専門家」ということになります。

 本当は様々な可能性をふまえて考えればそれほど極端な断言はできないことが多いと思いますが、それではたとえばテレビなどでは「受け」がよくない。はっきりとした結論だけを、できれば視聴者受けするような感じで話せる人がもてはやされる。テレビのキャスターたちは視聴者がどういう情報を求めているかを知っているので、「○○先生、ズバリとお聞きしますが、~はコロナ感染症に対して効くのか効かないのか、どちらでしょう」「いつこの感染症が終息するか、おっしゃってください。」というふうにきり込みます。その時にしどろもどろになって答えるタイプでは次のオファーはされにくいと思います。(また、キャスターもそういうきり込み方をするタイプが視聴率をかせぐという構図になっていると感じます。)

 たしかに、マスメディアでは劇場型のアピールが求められるのでしょう。しかし、現実場面ではしどろもどろになり、考え込んでしまって、「うんうん」と苦しんだり、「ハア」とため息をついたりしながら、より良い解決策を模索して、湧いては出てくる課題に向き合っていくことになります。

 物事の判断は最終的には基準に沿いつつも、その現場の状況をふまえて、下されるものです。場合によっては原則の基準ラインからずれた措置をとらざるをえないケースも出てくるでしょう。暑い日に目的地に向かうにあたって、「日なたではなく日陰を歩きましょう」というのは原則でしょうが、日陰が多いほうの道が相当な遠回りになったり、その道に通行危険個所があったりする場合は、やむなく日なたが多いほうの道を選ぶことになるでしょう。現場の状況を知らない人間が、後から原則論を振り回して責め立てる、ということが多いのですが、その行きつく先は次回からは目的地に向かうこと自体をやめてしまうということになります。

 どういう行動にもリスクは伴いますから、リスク回避を極端に推し進めると、なにもしないのが一番よいということになります。その行動がどのような状況下で、どういう目的でどのような理由でとられたのか。批判もそれを正確にふまえてなされるべきでしょう。(実際に、状況把握や理由を聞いてみて、現状にそぐわない判断がされることも多いのでやっかいです。何らかの意図が働くとそうなりがちなのですが。)

 学校の教育活動もできるだけリスクは避けるのですが、そのためにアクティブな活動すべてをやめてしまうと、生徒自身にいろいろな資質能力が育っていきません。そういうことをふまえながら、我々教職員も今年度は特に感染症の現況と向き合いながら、日々、難しい「判断」をしつづけています。

カレンダー

2023年3月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

年別一覧