58 コミュニケーションと言葉の教育

 前回の記事の最後のところで、「話す・聞く」の教育にあたっては、コミュニケーションのポイントをふまえる必要がある旨のことを書きました。今回はその点について私の考えを書きます。心理学の専門家ではないし、コミュニケーション指導の権威でもないのですが、教員生活を送ってきた自分の経験などを振り返って書くことにします。西高生のみなさんも人づきあいのうえで、何が本当に大切かを少し考えてみてください。

 たとえば、コミュニケーション関連のハウツー書をみると、何より笑顔が大切だと書かれていたりします。(カーネギーという実業家も成功するための秘訣に挙げています。)中には、ボールペンを横に加えて、鏡を見ながら笑顔づくりの練習をすることを説いたものまであるようです。しかし、自分の内面と連動していない笑顔を他人に示すことで、本当にコミュニケーションがうまくいくでしょうか。良いコミュニケーションにつながる笑顔とは、内面が自然とにじみ出ているうえでの笑顔であるはずです。

 「あの店員さん、目が笑ってなかったよ」などということをよく聞きますが、我々が察知するのは表情の奥にある相手の「心」の状態でしょう。不自然な笑顔はかえって警戒心を与えてしまう。「笑顔さえ意図的にできるようになれば、コミュニケーションがうまくいく」「自分が人とうまく付き合えないのは、笑顔になれないからだ」これらの思い込みが極端すぎるということは明らかでしょう。まず、相手に受け入れてもらうためには笑顔が大切だということはあるのでしょうが、それがあればすべてのコミュニケーションがうまくいくはずだから、テクニック的に身につけなければならない、というふうになってくると少し違うと思います。

 笑顔を例にとりあげましたが、コミュニケーションの要はハウツーテクニックではないということを言いたいのです。「いつもニコニコ笑顔だけど自分のことしか考えていない先生」と「あまり笑わないけれど自分たちのためにきちんといろいろとしてくれる先生」ではどちらが最終的には生徒との関係を築いていけるでしょうか。「点」でみれば、前者かもしれませんが、「線」や「面」でみれば後者でしょう。

 仕事のパフォーマンスで最も大切な要素は何かという、アメリカで2万人以上対象に行われた調査の結果はどうだったと思いますか。実は「愛想のよさ」「愛嬌があること」ではないのです。それらはほとんど影響がないという結果になったそうです。最も大切だとして挙げられたのは「誠実さ」「良心」だったのです。愛想のよさでその場その時はうまくいくことがあっても、継続した業務の中では他の人と一緒になって、誠意をもって取り組む姿勢があるかどうかが肝心なのは当然でしょう。

 コミュニケーションのうえで大切なのは、表面的な言動ではなくて、内面の「心」のあり方や動きだと思います。言葉の教育においても、それをきちんと前提として意識したものでなければなりません。論理だてて話をするのは必要ですが、「相手は自分の内容を理解しているか」という配慮がこもっていなかったり、自分の頭の良さをひけらかす雰囲気が入っていたりすると、たちまちに聞き手は耳と心を閉ざします。身体が傾聴を姿勢をとっていても心中で「早く終わってくれないかな」と思っていれば、それが話し手に伝わってしまいます。

 なぜ国語科教育の目標に「豊かな人間性」を育むことが含まれているのか。言葉が内面を反映する。すぐれた文学作品を読んで、感性を磨き、人生の機微について考える。古典を学び、その美しい言葉の響きや祖先の精神などに出会うことで内面を充実させる。そうして紡ぎだされる言葉が人と人とのつながりを良いものにするからでしょう。

 人の道を修めるには詩と音楽を学ばねばならぬと孔子が言っています。アランは人文芸術教育をしっかりと行えば、倫理道徳教育を行ったことになる、と言いました。言葉の育みは、心の育み、人生の育みと切り離しては考えられないものだと思います。

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