59 面白い物語作品の構成要素を考える

 10月も中旬を過ぎて、急に冷えてきました。空気が入れ替わる、という表現がぴったりとくるような変化です。ついこの間まで、半袖で通勤していたのですが、朝夕はスーツを着るようになりました。風邪にはいつでも気をつけなければならないのですが、今年の場合は特に風邪症状だけで神経質にならざるをえない状況が続いているので、寒さ対策も早いうちからする必要があります。学校でも暖房のことが話題になるようになりました。

「鬼滅の刃」というアニメ映画が劇場で大ヒットを飛ばしている、ということで大きな話題になっています。シアターにまで足を運ぶつもりはありませんが、先日のテレビ放映は観ました。親の影響もあって、幼いころから時代劇が大好きなので、アニメでも剣劇ものは今でもおもしろく観ることができます。

 時代劇は現代ドラマよりも予算がかかることもあり、テレビでの放映は本当に少なくなりました。昔の時代を描くと、現代の制約に引っかかるところも多く、また脚本にしても、演出にしても教養知識が必要になります。俳優も時代劇を演じられる人が少ないのでしょう。(たとえば1960年代の東映時代劇を観ると、俳優の演技力に驚嘆すると思います。着物を身につけている時の身ごなし、武士と町民での目の配りの違い、飲食時の作法などの点で、まさしく板についているという感じです。殺陣(たて)の格好良さという点でもため息をつくほどすばらしいシーンを見ることができます。)

 さて、「鬼滅の刃」を観て、感じたことを書きます。国語の小説読解や古典文学の読み取りで行う「物語の構成要素分析」をこのヒット作品に少し応用してみます。

 まず思ったのは、民俗学の知見が生きているということです。たとえば、民俗学の研究対象の一つは人間の「心意現象」です。具体的なものとしては存在しないけれども、確実に我々の意識のなかにはあって、生活を左右する現象です。信仰、風俗習慣、しきたりなどにそれは現れます。(今は我々はお盆であってもあまり気にせずに肉食(にくじき)をしていますが、私が幼いころは家でも、母親の実家でも動物性のたんぱく質は摂りませんでした。)心意現象は五感でとらえられないのですが、伝説の中などでは実態として姿を現します。「オニ」と呼ばれるものもそうです。

 もともとは形而上的な神聖な存在だったようですが、漢字の「鬼」をあてて「人に害をなす、まつろわぬもの」と位置付けられ、形象化されて角を持った邪悪な存在となってきました。ちなみに「鬼門」という方位があります。北東にあたるのですが十二支でいうと「丑(うし)」と「寅(とら)」の間です。「鬼」=「丑寅」→「牛虎」ということで、鬼は頭に牛の角を生やし、虎皮のパンツを履いていることになったようです。

 「鬼滅の刃」に出てくる鬼たちはそういう類型化をされず、もともとは人間で人型の延長で描かれていました。それだけに残虐さや恐怖がつのります。古典でも伊勢物語の「芥川」では女性が「鬼」に喰われてしまいます。授業でこの鬼の正体を生徒に考えさせたことがありますが、みなさんは学校で習った時にどう想像しましたか。古い蔵の暗闇の中から突然現れて、女性を一口で喰ってしまう「鬼」です。

 次に「母性」を強く感じました。「母性」が持つ包み込むような無限の優しさとそのエネルギーが反転した時のすさまじいまでの残虐な攻撃性とを感じたのです。それらが同居するのかと思う人は仏教の「鬼子母神」の話について調べてみてください。白洲正子という人が「両性具有の美」について書いていますが、私はそれを実現するには「母性」の表現は必須だと考えています。ともすれば冒険活劇は「父性」の強調が目につくのですが、心をとらえる「美」の要素は両性がそろっていないと表現できないと思います。大ヒットの要因の一つにはそれもあるかもしれませんね。

 物語の分析はきりがありません。それに私はテレビ放映でしかこの作品にふれていませんから、これ以上あれこれ言うのは慎みましょう。作品すべてを読む時間もありません。とにかく、夢中になっている物語作品があれば、それについてあれこれと考えてみることは楽しいものです。今回は話題になっているアニメを題材にして、そのアプローチの仕方についてヒントになるようなことを書いてみました。

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