早いもので1月も半ばを過ぎました。緊急事態宣言後の陽性者数などの数値が高止まりしています。朝の通勤時の人数もそれほど減少していない印象を受けます。休日の人出も一回目の宣言時ほどの制限がかかっていないようで、このような状態がいつまで続くのか、そして学校の教育活動にどのような影響が出てくるのか、とても心配する状態がつづいています。
そのような中、先の土日に大学共通テストが実施されました。本校はじめ、受験した生徒たちにはまずはお疲れさまと言いたいです。国語の問題はセンターテストの時から毎年かかさずに見るようにしています。三つほどHPを確認したのですが、国語についての各予備校等では、やや難化、つまり難しくなっているという分析結果になっています。私が解いてみた感触では、設問難易度は特別に上がっているというわけではないようです。ただし、「知識を実際に活用する力を図る設問」(以下、便宜的に「活用設問」と呼びます)があるために、考えるにあたっての複雑さは増すでしょう。それまで解いていた思考のフィールドをいったん出て、違う角度から問題文をとらえる必要があるからです。
たとえば、今回の現代文分野評論問題の活用設問を解くに当たっては、ふだんから生徒自身が自分の学習の進み具合をふまえ、他文献も参考にしながらテクスト内容をまとめて理解する力が要ります。一方的に教師の教えを受容するだけの姿勢では慣れない思考のプロセスを求められるということです。大問それぞれに活用設問があり、それがけっこうなボリュームなので、たしかに受験生は大変です。
ひとつ言えることは、国語の問題を解くにも、ますます短時間で情報を分析する力が要求されるようになってきているということでしょう。分析するには与えられた情報を色々な角度からとらえることができなければなりません。人物の心情などでも、作者、読者(その中でも一般の読み手の場合と生徒として授業で習う場合の別)、他の登場人物など、様々な立場から考察できる力が求められるということです。多くの知識を蓄えているかよりも、いかにテキパキと機能的な思考ができるか、に比重が移ってきているということでしょう。
仕方がないことだと承知しているのですが、問題文を選ぶ時にも、上に述べたような点で設問を作りやすいものが優先されるにちがいありません。表現も全体的に無難なものに限定されます。本来、試験といえども国語科教育の一環であるはずです。50万人以上の若者が受ける試験の問題ですから、本来であれはこの文章は今の若人にぜひとも読んでほしいという観点があってしかるべきです。古文や漢文でそう望むのは難しいかもしれませんが、せめて現代文分野ではまさしく今を生きる我々の人生と切り結ぶようなテーマの文章を、と常々思っています。
小説の詳細な描写の背後に「いかにこの困難な時代の生を歩むのか」という普遍的な課題をたたえているか。そういうことが若い受験生に働きかける度合いの強さを決めるのではないでしょうか。たとえば、世代をこえて、教科書掲載作品のなかで夏目漱石の「こころ」が卒業後も印象に残っている作品としてその作品名があげられ続けているゆえんです。