8 高校の新しい国語の教科書について

 今日で1学期の中間考査が終わりました。来週からは1学期も後半に入っていきます。さて、来年度の新入生から高校の教育課程(カリキュラム)が新しいものになります。特に国語科の変革は近代に入ってからの日本の高校国語科教育の歴史のなかでも時代を画するものと言えます。これまでは、国語科の科目はその教材が書かれた時代や場所に基づいて分かれていました。明治維新以前に書かれたものは「古典」、それ以後に書かれたものは「現代文」、古典の中でも日本で書かれたものは「古文」、中国で書かれたものは「漢文」という具合です。来年度の新入生からはそういう区別ではなく、どういう資質と能力を育成するか、という観点から科目が分けられています。たとえば、「現代の国語」という科目では現代社会で生活していくうえで必要な国語の力を、「言語文化」という科目では時代を超えて作成されてきた文化的な作品を味わうことのできる国語の力をそれぞれ育むことに焦点があたっています。

 これら二つの科目は必ず履修しなければならないものに位置づけられていて、多くの学校が1年生の段階で教育課程に入れることになるでしょう。この二科目については本校の国語科の教員に借りて、私も三社から送られてきている見本の新しい教科書を見てみました。教材に注目すると「言語文化」については従来の古典と現代文の文学作品を総合した定番の教材が多く、「現代の国語」では従来の定番評論教材に実用的な文書を加えた構成になっています。前者については収録教材が多いので、前提となっている年間での授業時間数を考えると計画的見通しを立てて大胆に取捨選択していくことが必須です。後者については各社によって大きく違いが出ていますが、もう少し画期的な内容になるのではと思っていた部分もあるのでソフトランディングしているというのが率直な感想です。

 国語の授業や教材をめぐっては色々なことが言われ続けてきましたが、小学校から高校にかけての国語で扱われる教材は言葉に関する共通教養を形成するものだということはしっかりと認識し、自覚しておくことが大切だと考えています。言葉を道具として扱う力はAIに劣ることがあっても、言葉を糧として生きていくことは人間にしかできません。そして、その糧のベースになるのは母語としての国語の力なのです。瞬時に目の前にいる人の心情を様々な状況から推し量って感じとり、適切な言葉を使えるかどうか。悩み苦しんでいる時に同じように苦悩した先人の言葉にふれて希望の光を見ることができるかどうか。あるいは、ビジネスで海外に行ったときに取引先の教養豊かな人から源氏物語や村上春樹などの話題が出た時に高校の国語を通して学んだ教養をそれなりに生かせるかどうか。

 実用的な教材にしてもそれが単なる道具としてではなく、生きていくうえでの糧となるような「質」のものになっていることが必要でしょう。道具としての言葉の扱い方、たとえば企画書の書き方などは入社してから数か月で習得できますが、様々なコンテクストの中で活用できる「糧」となるレベルまで言葉と付き合うためには長い学校での教育期間が要ります。それだけに、小・中・高の国語の教科書がどういうものであるかはとても大切なことだと言えるのです。今度の変革がこれから日本語を使う人々の良質の生きる糧の形成に結びついていくことを願うばかりです。

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