37 コミュニケーション能力を磨くために必要なこと

 明日のアートスタジアム実施に向けて、校内では準備が着々と進められています。午後からはいよいよ準備の最終段階になるので、より動きが活発になるでしょう。さて、今回はコミュニケーション能力について少し書いてみます。技術より内面のあり方に関してです。

 ほかの人とコミュニケーションをとること、最近になってその大切さがより強調されている感がありますが、その強調とその難しさは古代の文献にもすでに見ることができます。考えてみれば、コミュニケーション能力が高ければ充実した人生を送る可能性が高まることは確実でしょう。現代では情報化が進むほど、その能力が落ちるのでは、という皮肉な事態に対する懸念があるというわけです。

 たとえば、ある人から次のように言われたらどうでしょうか。「私はこれこれというとても優れたところを持っている。その本質的なところを他人であるあなたが理解することができないでしょう。さあ、こういうすばらしい私と交友してください。」あまり付き合いたいと思わないのではないでしょうか。かと言って「私はどんなどきでもあなたと同じような行動をします。これといった個性的な特徴などないので、いつも相手の人に合わせているのです。さあ、一緒に交友してください。」というような人ともあまり深い付き合いはできそうにもありません。

 国際化の時代と言われますが、どうも日本人の外国人に対する態度はこのどちらかになっているケースが多いように感じます。たとえば、以前のように「外国人には日本のわびさびはわからないだろう」「芭蕉文学のよさは日本人にしかわからない」と面と向かっては言わなくても、言外ににじみでるニュアンスで伝わってしまう。「いや、グローバル化ですから、日本の独自文化なんて知ってもしかたないですからね。世界の最新の動きに合わせていりゃいいんですよ。」こういうのを一昔前までは何とか根性と言っていたのですが、根本的なところでは変わっていないような感じがしています。

 自分が身に付けたり持ったりしている良い点の本質を自分以外の人にもわかりやすく伝えて共有することができる人は、自ずと敬意を表されて対等な付き合いができるのではないでしょうか。そのためには、自分の個性独自性を深く深く掘り下げて、普遍に達するまで努力する必要があるはずです。たとえば広重らの浮世絵の本質的な良さをゴッホらが理解して自らの描法の参考にしたのは、近世の、何よりも広重らの絵に普遍的な美があったからでしょう。それを絵についての修練を積んでいる西洋の真の画家たちの眼は見抜いた。浮世絵師たちがどれほどの修練を重ねていたかということです。

 源氏物語がヨーロッパ近代文学の旗手たちに衝撃を与えたのも同じです。自分たちよりも500年も前にアジアの一女性がまったく古びない、深い人間心理洞察の長編物語文学を書いていたということを「発見」したのですから。

 コミュニケーションには当事者がお互いに敬意を寄せることと素直にすぐれたところは認めて、学ぼうという姿勢とが必要なのは、個人でも社会組織でも同じだということだと思います。高校生など若い世代にはぜひともそういう態度を身に付けてほしいと思います。

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