セメント樽の中の手紙への返信

20期生 1年の現代文では、葉山嘉樹の『セメント樽の中の手紙』を読んで、手紙への「返信」を書きました。

そのうちの何編かをここに紹介します。作中人物の「松戸与三」の視点で書かれたもの、現代の高校生つまり自分の立場で書いたもの、さまざまです。

 

こんにちは。手紙を読んだ松戸与三というものです。私はセメント開けの仕事をやっています。その途中で小箱を見つけました。

あなたの恋人はダムの一部となりました。恵那山付近を流れる木曾川のダムに。完成したら会いに来てあげてください。

そしてこの布切れもお返しします。大事なものは自分で持っていてください。私はあなたをかわいそうだなんて思って返事をしたんじゃありません。むしろ誰かを愛することができる素晴らしい人だと思いますよ。

ではさようなら。                                 松戸与三

 

正直、彼のセメントがどこにどうなったかを本当に聞きたいですか。

聞いたところでもう何をすることもできないのですから。

私はセメント開けをしている労働者の一人です。

私には七人子供がいます。そして七人の子と妻を養うために働いています。

きっと彼もあなたと幸せに暮らすため働いていたのです。だから、どうか新しい幸せを彼のためにも見つけてください。

では、お元気で。さようなら。

 

私は労働者です。セメントを開ける仕事をしています。あなたの手紙を読んだ者です。

私は一介の労働者ですので、なんの権力もありません。

あるのは、疲れと、やたらに多い家族だけですから、どのセメントをどこにどう使うのか、決めることはできません。

せめてセメントになってしまった彼の呪いの声が少しでも救われるよう祈っていましょう。

私には家族がたくさんいます。そりゃもう、べらぼうにいます。それなのに外で働くのは私一人なわけですから、当然余裕はないわけです。近々また家計は苦しくなるでしょう。

こんなご時世です。私は色んなものが憎いです。大多数の人は今苦しいでしょう。決してあなた一人を集中攻撃しているわけではないでしょう。

皮肉ではありませんからね。

労働者さん、さようなら。

 

現代では労働環境は改善されて、あなたの恋人みたいに過酷な労働を強いられている人はとても減ったと思います。

あなたの恋人はダムをつくるのに使われたそうです。そこでも過酷な労働を強いられている人はたくさんいたことでしょう。その人たちは不満や不平を抱きながらも、自分や家族のために一生懸命働いていたと信じています。あなたの恋人もそうだったのではないでしょうか。

そのダムはきっと現代でも国民のために毎日働いています。金持ちだけのためになるものには使われていません。あなたの恋人は立派にセメントになって現代の人の役に立っているのです。

お手紙ありがとうございました。