終戦から75年~「太陽の子」を観る

 8月15日の終戦記念日に毎年様々なドラマが放映されてきました。これまでなんとなく観たドラマも多々ありましたが、どちらかといえば、あまり積極的に観たことはありませんでした。私の両親は広島出身で、私自身も広島で生まれました。一歳にならないうちに大阪に越してきたそうで、「広島出身」という意識はほとんどありませんが。

 父は、学徒動員で広島を離れていて、原爆にはあいませんでしたが、母親とたくさんいた兄弟姉妹を亡くしました。父親(私の祖父)は、原爆ドームの近くにある寺町にある寺院で被爆し、本堂の梁の下敷きになりながらも一命をとりとめ、80代まで生き延びました。高校に入るまでは、毎年夏休みには父の実家を訪れ、原爆ドームに行ったり、灯篭流しを観に行ったりしていました。でも、母親が爆心地から遠く離れた場所で被爆していたと知ったのは、高校になってからでした。引っ越しの準備をしていて、忘れ物を取りに戻った玄関で被爆したという話を聞きました。私を産む時に、とても悩んだということも一度だけ聞きました。幸い私も弟も今まで大きな病気もせずにいますが。父親は繰り返し原爆の話を私や弟にしましたが、母親はあまり話したがらなかったということを記憶しています。そのことがよけいに私の中で、簡単に触れてはいけないことだとなってしまった気がします。

 父親は、原爆記念日にも朝からテレビの前にずっといましたが、母親はどちらかというとテレビを観ることも避けていたような印象でした。母親が病気で死期が近づいてきた時に、女学校時代の友達と電話で話す機会があって、電話が終わった後に、「今もまだ残っている唯一の友達で、会うことはできなかったけど電話で話せてよかった。」と言ったことが心に深く残っています。

 そんな私が、今夜「太陽の子」というドラマを観ました。それは、7月に亡くなった三浦春馬さんが出演していたことが大きいと思います。特別にファンだったわけではないのですが、なぜかとても心にひっかかっているのです。

 ドラマの中で彼が言った「そやね、いっぱい未来の話をしよう。」という台詞。

 コロナ禍の今、生きづらさが増していると思います。落ち込むことも、先が見えない苦しさも、わけもなく気持ちが沈むことも、そういうことが誰にあっても不思議ではないのかもしれません。

 それでも、踏みとどまりましょう!よりよい未来の一員としての自分の存在を信じましょう。色々なことが不確定で、先行き不安で、そしてこの地球上では様々な争いや理不尽が繰り返されているということも現実だし、一人の人間の力が無力に思えることも事実です。でも、あきらめること、背を向けること、さらに何かのせいにすること、人を傷つけて安心すること・・・そういうことを止めなければならないと思います。

 人間は弱い。でもそのことから目を背けずに、そして弱いことを知って、力を合わせることで何倍もの力を発揮することができること、そのことを私たちは知っています。

 「太陽の子」を観終わった今、こんな風に思っています。