割り切れない想いⅡ

 昨日のブログに、文化祭の参加に関することを書きましたが、今日の終礼で「具体的なことを伝えます。」と昨日予告されていたと思うのですが、今日はその連絡が間に合わなかったようです。生徒の皆さん、ごめんなさい。月曜日にはちゃんと伝えられるはずですので、待っていてください。

 今日は、また別の3年生の生徒が、後輩のことを思って、「なんとか文化部が文化祭に参加できないでしょうか。」と校長室に尋ねてきてくれました。本当に後輩思いの3年生がいることに嬉しく思います。そしてまた、昨日話をした3年生の生徒が、何度も校長室をのぞきに来てくれたのですが、そのたびに私は電話中で、「ごめんね」と合図を送っていたのですが、やっと話をすることができました。ただ、仕事が重なっていて30分くらいしか時間がとれませんでした。文化祭のことなので、まず担当部署の先生方に話をしに行ってもらいました。文化部の顧問の先生も、何度も話をしたいと校長室をのぞいてくれたようなのですが、そのたびに私が電話中だったり、誰かと話をしている様子だったりで、やっと話ができたのは6時頃でした。本当にすみません。

 思いを聞くことも、私に答えられることは言葉を尽くして説明することもできますが、この決定を覆すことはできません。教育委員会も考えに考えて、府立学校全体のことをすべて把握したうえで、感染症拡大を抑えるためにこれが決定的なルールではなくとも、考えられる最善のルールだと判断されて通知されていると思います。私たちには見えてないこともあるだろうし、それこそ苦渋の決断であるのだと思います。でも、だから、何も言わず黙って従いなさいと生徒の皆さんに言うこともまたできません。以前にも伝えたように、理不尽だと思うことは自分なりの方法で、それを伝えることは人として必要なことだと思います。私自身もそうして生きてきました。でも、伝えてもそれがうまくいくとは限りません。なぜなら、人の数だけ、考えや感じ方はちがうので、当然、一つのことに対して様々な意見や感じ方があるからです。また、世の中には、なんでもすべて明らかにできることと、できないこともあるからです。なぜなら色々な立場の人がいるのだから。だから、自分の考えを表明することで、反論されたり、傷ついたり、嫌な思いをすることもあります。あるいは、一生懸命伝えても報われないこともあります。それは当たり前のことです。それは色々なことを経験してきてこの年齢になった私だから言えることで、高校生の皆さんには酷な事かもしれません。だから、傷つくことも挫折を感じることもあるかもしれないけれど、それよりも納得できない気持ちが強いのなら覚悟を持ってそれを表明することは、素晴らしいことだと思います。先生方も私もいつでも相談に乗ります。でも、最後は、自分がどうしたいのか、自分がリスクを背負っても自分の信じることを追求したいのか、その一点だと思います。