3学期始業式は昔々の思い出話をしました......

 始業式や終業式にどんな話をしようかいつも迷います。できることなら、聴いてくれた生徒のうち一人でも憶えていてくれるようなお話をしたいと思っています。今回も相当悩みましたが、1月9日(火)に行われた始業式は、思い切って昔々の思い出話をしました。思い切ってと書いたのは、不安があったからです。この話をするときにはいつも涙ぐんでしまいます。当日はなんとか読み切ったのでホッとしています。以下、原稿をそのまま転載します。読んでいただけると嬉しいです。

令和5年度3学期始業式 式辞 (1月9日)

お話をする前に、元旦に発生した能登半島地震の犠牲になられた方々のご冥福をお祈りして黙祷を捧げたいと思います。「黙祷」 「黙祷をやめてください」 一日も早い復旧を願っています。

さて、今日は、いつもよりちょっとだけ時間をいただいてお話しようと思っています。お付き合いください。今から読むのは、大阪教育大学が発行した小冊子「学びの架け橋」2018年冬号に掲載された私のエッセイです。教職をめざす高校生や大学生に向けて書いたものです。聴いてください。

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小・中・高・支援学校・・・どの学校種でも同じだと思いますが、「転勤」しただけなのに「転職」のように思えてしまうことがあります。生徒の様子、同僚との人間関係、求められる能力や仕事の内容など学校によって全然違います。私もそんなことを経験した一人です。

それはそれはストレスフルな毎日でした。日々繰り広げられる新たな経験のオンパレードはストレスとなって降り積もり、前任校の経験などほとんど役に立たないことを思い知らされました。まさに「転職」です。

中でも一番辛かったのは前任校で一生懸命力を注いできたクラブ(柔道部)がなかったことです。今から思えば「何を甘いこと言ってたのだろう」と赤面しますが、当時は大真面目に悩んでいました。

正確に言えば4月当初柔道部はありました。名簿には15人もの名前があったのですが、何日経っても柔道場に姿を現す生徒はいません。さすがに業を煮やして全員を呼び出し「稽古しないなら辞めてしまえ!」と一喝したら、見事に全員辞めてしまいました。これまでの経験だと2人や3人は神妙な顔をして「先生、もう一回頑張らせてください」とか何とか申し出てくるはずだったのですが、不覚にも「転職?」(転職したような転勤)したことを忘れていました。ショックと後悔が一遍に押し寄せてきて立ち眩みが起きたのを覚えています。  

次の日から自分のメンタルを何とか保つために部員を集める日々が始まりました。近くの町道場にリクルートに行った日、私はある中学校の女子柔道部員に会いました。帯に「泰子」と刺繍がありました。稽古をしてみて確かに運動能力が高いと思いましたが、競技実績はありません。真剣に柔道をやっている空気も感じません。

当時は大阪で開催される国体の直前で、女子柔道も補強のため他県から超高校級の選手が集められていましたので、大阪のレベルは全国的に見ても非常に高い状況でした。しかし...人間追い詰められたら何を言い出すかわからないものです。気がつけば私は、その日娘の稽古を見に来ていたお母さんに「近畿大会に連れて行きますから私を信じて預けてください」と言っていました。

その日以来この言葉は私の頭の中から離れません。大風呂敷を広げてしまってちょっと後悔もしましたが、もう後へは退けません。泰子が入学した春から、考え得ることは何でもしました。1日千本の打ち込み、強豪校との練習試合ツアー...「ヤス! 行け!」多分毎日100回以上叫んでいたと思います。それから2年半後、ヤスは最後の公式戦の畳の上にいました。試合終了間際、ずっと練習してきた背負投げが決まった時には天にも昇る気持ちでした。約束の近畿大会出場が決まった瞬間です。今でもこのシーンはスローモーションで思い出すことができます。  

ヤスは高校卒業後も短期大学で柔道を続けました。卒業後は保育士として働きましたが、元来姉御肌の彼女は責任感が人一倍強く、つい同僚の仕事を抱え込んでしまう傾向があったようです。心も体もしんどいことが多かったのだと思います。そんな時はいつも私が相談相手になっていました。  

そんな中、その日は突然やってきました。彼女が30歳になった翌年の2月、寒い日でした。彼女のお母さんから私の携帯に着信があり、その消え入りそうな声が信じられない現実を私の耳の奥に突き刺しました。「先生、泰子が死んだ」「いつまでも起きへんから部屋に行ったらベッドで冷たくなってた」。所謂突然死でした。駆けつけた小さなセレモニーホールの祭壇の前に横たわるヤスの手を握って私は泣きました。そして、泣いても泣いても涙は尽きないんだということをはじめて知りました。  

ここまで読んでくれた皆さんは教職に憧れを抱く高校生かもしれませんし、今まさに教員への第一歩を踏み出そうとしている学生さんかもしれません。あくまでもこれは私見ですのでそのつもりで聞いてください。教員の仕事は「誰かの人生を一 緒に生きること」です。だからその覚悟を今から決めておいてください。それほど素敵な仕事なのですから。

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 今日このタイミングで私が何故このエッセイを読んだか?その理由がわかりますか?私は教員しかしたことがないので、エッセイの内容は学校や教え子のことでしたが、これから先、自分の生きる世界を選び取るみなさんにとって、この話は一つのモデルになると思ったからです。

 どんな仕事を選ぶにしても、それなりの覚悟が必要です。その覚悟を他の言葉で言い換えるとすれば夢です。夢と覚悟は表裏一体の関係です。三年生は共通テストを目前にして気持ちが高ぶっているかもしれませんが、私の話を聴きながら、自分が30歳になった時のことを想像してみてください。

 なりたい自分になったあなたは、あなたにしかできないことで誰かの役に立っています。それがあなたの夢だったので、あなたは夢を叶えたことになります。今までのあなたなら、夢を叶えて充実している自分を想像すると思います。けど、今は違います。私の話を聴いてくれたみなさんのうちの何人かは、自分にとって耐え難い辛さがあるかもしれないという可能性も含めてその夢を愛することができるようになっているはずです。

世の中ほとんどの人は働いて生きています。8時間労働だとして一日の三分の一。週休2日とか休暇とかあるので、人生の三分の一働いているとは言いませんが、労働時間は相当の割合を占めます。

みなさんは、そんな人生の前半で三国丘高校に入学し、私や先生方に出逢いました。あらためて言いますが、我々教職員は覚悟を持って教育という仕事をしています。日々真剣勝負です。みなさんも覚悟を持って夢を追いかけてください。

 年の初めから、地震や事故など暗いニュースばかりが報じられていますが、三丘生は顔を上げて前を向いて行きましょう!

 これでお話はおしまいです。今年もよろしくお願いします。