教員が生徒に説教(説諭)する時に「社会に出たらなぁ...そんなこと"あたりまえ"やで!」なんてことをよく言いますが、40年も教員をしてきた私は、そんなフレーズを聴くたびに、ホンマかぁ?と思ってきました。教師の世界って、たぶん会社員など一般社会から見るとかなり緩かったように思います。教員を取り巻く環境も最近は随分と変わってきましたが、私が教員になる直前の1970年代までは高度経済成長期で、猛烈サラリーマンなどという言葉が生まれた時代です。生徒に説教(説諭)する時に使う社会という言葉が企業を含む一般社会だとすると、教員が知っている社会で言う"あたりまえ"というのは、一般社会におけるベーシックな"あたりまえ"だったような気がします。
前置きが長くなりましたが、今回の「十駕JUGA」には"あたりまえ"という言葉が出てきます。「毎朝8時15分に予鈴が鳴るが、それまでに教室にいることが三丘スタンダード、"あたりまえ"なのだ」とあります。私は、これを読んで、この"あたりまえ"はベーシックな"あたりまえ"だと思いました。
予鈴までに席についているのは"あたりまえ"中の"あたりまえ"であって、それができていれば大丈夫というレベルの"あたりまえ"ではないと思うのです。朝の時間を大切にすることも"あたりまえ"なのですから、朝起きてから自席につくまでのすべての時間を有効に使うことが"あたりまえ"だと思うのですが、どうでしょう?
「三国丘高校での生活は忙しい」と、メッセージに書いてくれている先生がいました。私もそのとおりだと思います。みんな本当によく頑張っているなぁと感心しています。忙しいからといって1日が25時間になることはありません。全員に平等な24時間の中で、自分の時間を自分でコントロールできているかどうかが判断基準です。コントロールできている人は、忙しいながらもメリハリのきいた毎日を過ごせるし、コントロールできない人は、やらなければいけないことに追われる毎日が続きます。前者が良いに決まっているんですから、1年生は、この際、入学してから今日までの自分の生活を振り返ってみてください。
厳しいことばかり書いてしまったので、こんなフレーズにも触れておきます。「どんな大人ならかっこいいか考え続けられる高校生になってください」です。これはまさに、ロールモデルのことです。かっこいいというのは、アイドルみたいな見た目のことを言っているわけではありません。もっと言えば、大人じゃなくても構わないと思うんです。泥だらけになってボールを追いかけている先輩がかっこいいとか、〇〇のことなら何でもすぐに答えられる先輩がかっこいいとか、いつも朝早くから登校して勉強しているクラスの同級生がかっこいいとか、毎朝明るく「おはよう」と声をかけてくれる友だちがかっこいいとか...そんな感じで良いんです。身近な目標となるロールモデルが見つかれば、ぐんと成長する自分を感じることができます。ロールモデルの真似をすればいいんです。特に、先輩方や先生たちの中には、必ずあなたのロールモデルになる人がいます。そんな誰かを見つけたら、毎日が今よりずっと楽しくなると思います。頑張れ!そして、楽しめ80期生!